京都御苑に「染井吉野」の桜は無い

nonio

2013年04月26日 07:04

 4月19日(金)、レイカの仲間と、京都御苑内の厳島神社・宗像神社などを散策して、閑院宮(かんいんのみや)邸跡にやってきた。

  閑院宮邸跡は御苑の西南角に位置し、江戸時代の公家屋敷跡として大切に保存されていた。一般公開されていたので、我々13名が、ぞろぞろ入っていくと、案内をする人が、「これから説明する時間になった」と言いながら、招き入れた。解説時間は20分程度であったのだが、40分以上の熱弁となった。私以外の仲間は、歴史に詳しい。ついつい皆が相槌を入れた結果、詳細な史実を語りださせてしまったようだ。

 天皇および皇族の身分や系譜に関する話。要するに天皇家の皇位継承のことであった。皇統の備えとして、皇族のなかで特別に“親王”を名乗ることを許された閑院宮家、伏見宮、桂宮、有栖川宮家の四親王家・・・・東山天皇の皇子直仁親王を始祖として宝永7年(1710)創立された・・・・。
私は天皇制度を否定するものではないが、皇統を今更詳しく知りたいとも思わなかったし、理解する基礎知識も持ち合わせていなかったので、はなはだ退屈しながら聞き流していた。

 その中で、興味を持った言葉があった。「京都御苑には山桜・里桜があるが、染井吉野の桜は無い」と。 

 明治以降、桜といえば華やかに咲く”染井吉野”が、最も人気がある。ほとんどのひとが、揃って咲き、瞬く間に散ってしまうこの桜を見て、これが国花と思い、親しんできた。だが、由緒ある御苑には、江戸時代に江戸彼岸桜、大島桜を交接して作られたこの桜が向かないのであろう。
 水上勉の小説『櫻守』の笹部新太郎によると、染井吉野はもっとも堕落した品種、本当の桜は山桜、里桜だという。
 染井吉野がまだなかったころの花見は、おっとりとしていた。山桜・里山の開花は一度に開花せず、あちらこちらと時間をかけてゆっくりとうつろいゆく桜の美しさを楽しんでいた。 御苑には約1100本の桜があるそうで、3月下旬から4月下旬までシダレザクラ、ヤマザクラ、サトザクラ、ヤエベニシダレ、カスミザクラなどが次々と日を変えて見頃をむかえるようだ。言い換えれば、一本の原木から接木をして増やされた染井吉野は、当然同じ特性をもっている。つまり、御苑では、同時期に一斉に咲き・散ってしまう桜を嫌ったようだ。

 案内人の長い話が終わり、早速、花見となった。
下立売御門近くの「 出水の小川」の一画では、遅咲きの八重桜や珍しい緑色をした”御衣黄”が盛りを迎えていた。
4月9日の下見した際、京都市美術館の「日本南画院京都展」を訪れ、墨の濃淡で描かれた水墨画に惹かれてしまい、桜見物ができなかったが、今回は、その分も合わせて、残り桜を満喫できた。



 
































関連記事