詩仙堂/5歳少女が綴ったことば

nonio

2019年12月04日 06:03


   

 久しぶりに紅葉の詩仙堂に訪れた。ここは、あけっぴろげの室内から紅葉と白砂に丸く刈り込まれたサツキの庭園を眺めることができ、ゆったりとした気分にさせてくれるところである。
 
 一乗寺下り松町バス停で下車した。観光地とは思えない住宅街を進み、 「一乗寺の下り松」を横目に狭い坂道を登っていくと、 すぐに右手に詩仙堂の鄙びた「山門」があった。
 朝早く、観光客が疎らなのに案内人が各路地の角に突っ立っていた。
「観光公害」という言葉も使われ始めた昨今、住民との間に問題を生じないように配置させているのであろう。

 詩仙堂の入り口まで来ると、「史蹟詩仙堂」の石碑があり、葺きの門の正面には 横に長い木版額に、「小有洞」と文字が彫り込まれていた。この門をくぐり、竹林の中の道を行くと石段の上に「老梅関」という門があり、同じように「梅関」の扁額が揚げられていた。その門をくぐりぬけると詩仙堂の建物へと導かれた。 
 ある文人による風流三昧につくられたものであろうが、この日の私にとっては、石段をのぼりつめ、次に石を敷いた小道に出た。その突きあたりに、石段を登り詰めたところに・・・・と、長々二つの門も通過するのは むしろ、陰鬱な気分だった。

 それはさておき、 たどり着いた玄関前に 『生死事大』の木板が飛び込んできた。

 室内に入っていくと、案内役の女の子がいたので、木版の事を聞いてみた。
「時折、このことを尋ねられます。『右から、しょうじ-じだい【生死事大】』」と読みます。
「時は無常に過ぎ去っていきます。今を生きていることが、大切なことであるという教えです」と説明してくれた。
 
「死という字を、『ジ』と読むのですか」と聞き返した。
「生」の字は100以上いや150の読み方があるのだが、「死」という字は音・訓ともに「シ」で、それ以外の読み方がないので、聞き直したてみた。
「そう教えてもらっています」

 そうこうしている内に、読み方などどちらでもよかった。『生死事大』の文字から、5歳の女の子船戸結愛ちゃんが、生死の瀬戸際に立たされ、綴ったことばが脳裏に蠢いてきた。

 朝の4時に起こされて、毎日、ひらがなの練習をさせられていた。

「ママ もうパパとママにいわれなくても しっかりとじぶんから きょうよりかもっと あしたはできるようにするから もうおねがいゆるして ゆるしてください おねがいします
ほんとうにもうおなじことはしません ゆるしてきのうぜんぜんできなかったこと
これまでまいにちやってきたことをなおす
これまでどんだけあほみたいにあそんだか あそぶってあほみたいだからやめる もうぜったいぜったいやらないからね ぜったいやくそくします
もうあしたはぜったいやるんだぞとおもって いっしょうけんめいやる やるぞ」
「きょうよりか もっともっと あしたはできるようにするから」


 船戸結愛ちゃんが、現世に生き残るための渾身の伝言だったが、もういない。

 山の麓に建てられた詩仙堂には、夜中に出没するイノシシや鹿を追い払うために日本ではじめて「ししおどし」が考案されたものらしい。筒竹に水が注がれ、いっぱいになると傾き石を打ちつけることで、音を響かせるものだが、その響きは、やけに物悲しかった。



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