誰もいない嵯峨野「竹林の小径」

nonio

2020年07月04日 08:35

 
   森林浴と云う言葉の意味は理解していたつもりだが、「竹林浴」はしっくりしなかった。ただ単に、竹は地下茎が横に這い出し、厄介ものと思っていた。

 2年間ほど野洲川河辺林にある竹藪の伐採のボランティア活動に参加していた。その時、気づいたことがあった。
林内が樹林帯と比べて意外に明るく、他の植物が生えていなかった。とにかく繁殖力が強く、竹藪に立ち入る隙間もなく、竹だけが密生した景観をしていた。
ところが、然るべく伐採した竹藪に仕立てていくと、紛れもなく異空間になっていった。  
風が吹くと、揺さぶられた竹稈どうしで、「コン、コン、コン・・・」と風情のある音が、四方を伺うように響かせた。さらに耳を澄ましてみると、風が竹林を通り抜けると、サラサラと竹の葉が擦れあい、涼やかであった。

 手入れされた竹林は、空に向かって真っすぐに伸びた棹だけの端正な空間であり、そのひっそりと閑寂な中に、心地よい音色の世界があった。竹林は、日本人の感性を揺さぶる風情があり、竹林浴とは、そういうものだと分かったような気がした。

 たまたま、保津川下りの後、Kさんに連れられて「竹の小径」を訪れたことがあった。
この嵯峨野の辺りは、何回も訪れ小径を行き来したが、単なる通路であった。だが、この時、初めて「竹」としての意識を持てた。
それにしても、小径には、人並みが途切れることなく、耳障りな通じない言葉が飛びかっていた。どうしても、嵯峨野の特有の寂寞みたいなものが体感できなかった。

 このところ、奇しくも、新型コロナで「京都が閑古鳥」との快報に、いまこそチャンスと、いそいそと渡月橋の北側一帯に広がる竹林に出かけた。 真っすぐと伸びた数万本の竹が生い茂る小路を、本来の姿を取り戻した嵯峨をゆったり、歩きたいと強くこころに決めた。

 JR嵯峨嵐山駅に降り立つと、あれだけオーバーツーリズムだ、観光公害だと騒がれた街並みが、人影もまばらでガランとしていた。観光客向けの飲食店や土産物屋が立ち並ぶ嵐山商店街は、多くの店がシャッターを閉め、臨時休業を知らせる張り紙がされていた。
竹林の入口付近にある天龍寺嵐山という道標(建立年1929年建立者三宅安兵衛遺志高162×幅24×奥行25cm)がある「嵯峨豆腐 三忠」のところを右折して「竹の小径」に向かった。道の両脇には、手入れされた竹林が続き、凛とした美しさが醸しだされていた。

 全く誰もいない小径の真ん中に三脚をセットして写真を撮った。
私の振舞いから、いっかどの写真家と思ったのであろうか。一眼レフカメラを携えた人が近寄ってきた。
「SONY α7Ⅱ&α7seriesプロフェッショナル撮影BOOK」の書籍を精読してきた私は、調子に乗って、撮影手法を話してやった。
その人も、私の横で、話した通りを設定にして、頻りにシャッターをきっていた・・・・。

 上部の竹の広がりが、一層広がるように工夫を凝らしたものである。
焦点の設定は「ゾーン」または、「ワイド」など幅ひろい焦点でなく、小さな被写体に狙い定めて「フレシキブルスポット*M」を選んだ。それを竹の穂先部分の位置から1/3にピントを合わせ、上部の「ボケ」が生じるので、広がりを見せられるという論法である。
 持ち帰った写真を見てみると、以前に撮った写真と比べてさほど変わっていなかった。でも、こうした試みは、写してきたのでなく、私が画を切り取ってきたという思い入れがあるので、まんざらでもなかった。

 新型コロナウイルスで、外国人観光客が消えた。こんな静かな嵯峨野は何十年ぶりだろうか。でも、中国人や韓国人が見当たらないかつて昔の姿に戻っただけである。
「京都は観光都市ではない」と門川大作市長が定例会見で爆弾発言をしたことがあった。有名な観光地が混雑するのは、仕方ないことでもあるが、人が集まりすぎると、もともと住んでいる人にとっては、迷惑な話である。外国人たちを「これ以上歓迎したくない」と声を上げたものである。

 観光客が激減しているこの機会に、奥深い美しさや豊かなものを感じる日本独特の「美意識」を表す“わびさび”の嵯峨野を知ってもらうためには、高い付加価値を設定すべきだろう。
苔寺は京都世界遺産のなかでダンドツの拝観料苔寺のように。それにしても、苔寺の拝観料、ひとり3000円以上とは。

嵯峨野の「竹の小径」Ⅰ

嵯峨野の「竹の小径」Ⅱ

野洲川河辺林にある夕暮れの竹藪








































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