京都の言葉探し
京都の嵯峨野・嵐山へぶらりと出かけた。JR駅から降りると、そこは人・人。様々な外国語が耳に飛び込んできた。
どうしょうもない喧噪から逃れるようにして、愛宕神社へと続く古道をのんびりと歩いていった。この神社のある山頂への登り口にある一の鳥居までやってきた。人の姿もまばらになり、京都らしい雰囲気が戻ってきていた。
愛宕山の山頂にある愛宕神社には、往き帰り5時間を優に超えるため、参拝者の疲れを癒やしてきた茶屋「平野屋」があった。 創業は江戸初期らしい。この辺りには多くの茶店、旅篭(はたご)があり、愛宕信仰で賑わっていたらしい。今なお、茶店として、名物「志んこ団子」を供している。
茅葺き平屋建の軒下に置かれた長椅子に腰掛けさせてもらって一息ついた。
辺りを見回していると、「むしやしない」と書かれた紙きれを目にした。この言葉を聞いたことがなかった。
女将に尋ねてみると、「京都の古いことばで、ちょっとつまめる『おやつ』のことを指します」と教えてくれた。
漢字で書くと「虫養い」。つまり「お腹の虫を養う程度の軽い食べ物」という意味である。どうも、この言葉は名物「志んこ」ことらしい。京都独特の言い回しである。
一休みを終えて道を戻ると、つれが店先の小庭にある石板を指さした。石板の中央には「口」の字に見えるような穴が開けられており、その周りに「五」「隹」「矢」「疋」と刻まれていた。
私には、見覚えがあったのだが、咄嗟にはわからなかった。「それぞれ合わせると『吾唯知足』の四文字になりますよ」と読んでくれた。
この言葉どこかで、見たことがあるのだが、どうしても思い出せなかった。でも、脳裏には刺さっていた文字であった。
7~8年前、龍安寺の石庭を見に行ったついでに、石庭とは建物を挟んで反対側にある「つくばい」だったことを思い出した。とにかく、本物を見なければと思って再度訪れた。
この禅寺は、枯山水の石庭で有名なところである。が、そこを素通りして、直ぐに「つくばい」に向かった。茶室に入る前に手や口を清めるため、真ん中の水のたまっているところが、漢字の「口」となっていた。竹口から水が注がれ柄杓も置かれ、店屋に無造作に置かれていたレプリカとは一味違っていた。この歴史を感じさせる光景に感慨深い思いであった。
ふと横の立札に眼をやると、「実物大の模型」と記されていた。
「これもレプリカかい」と思いつつ、お寺の多い京都ならでの言葉であり、言葉の持つ意味には変わりがないと自ら戒めた。
ひとは足りないことばかりを探し出しことより、満足する心を持ってと、釈迦が説かれたことを実践することになった。
―「足ることを知る人は、心は穏やかであり、足ることを知らない人は、心はいつも乱れている」―
嵐山や嵯峨野に足を踏み入れると、時間がゆっくりと流れていた。愛宕山の山頂にそびえる愛宕神社や、その近くに佇む茶屋「平野屋」は、古き良き時代の面影がそこには残り、茶屋の軒下に掲げられた「むしやしない」という言葉や、「吾唯知足」という石板に刻まれた言葉は、京都ならではの心を象徴していた。これらの言葉は、物質的な豊かさよりも、内なる満足と平穏を求める京都の人々の姿勢を示していた。
皆さんも、京都での言葉さがしは、いかが。
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