上古賀の一本杉

nonio

2020年07月17日 10:02

 
 「滋賀県の巨木めくり」書籍の表紙を飾る大木、「上古賀の一本杉」が気になっていた。妻と自動車で出かけた。

 大正2年に刊行された「近江銘木誌」から割り出したこの樹の所在地は、「廣瀬村大字上古賀字西野一ノ瀬谷入口」。かつて集落もあったと考えられるが、場所を特定できない。取り敢えず、湖西、高島安曇川駅から西に向かう上古賀を目指した。重ねて、安曇川に架かっている両台橋、大吉牧場を仮目印に進んだ。

 右往左往しながら、饗庭野の陸上自衛隊演習場へと導かれる山道にさしかかった。車がやっと通れるだけの狭い道を無理やり進むと、手入れされた杉の森林帯に出た。
突如、この地に長年君臨し続けている“ぬし”だと言い張る、どでかい杉が現れた。そこだけ日常とは違う空気に包まれていた。
 二本のけたちがいの太い幹が、根本に近いところから両側に張り出し、その主幹は、苔むし、シダも宿していた。
杉の語源は「直ぐな木」から言われているが、この樹から到底杉とは思えなかった。山嶽のような雄偉な姿に圧倒されてしまった。
 根元には祠が祀られいた。妻は「こんな大木の写真を撮ってもいいの」といぶがしがった。「日本の巨樹・巨木林 環境庁編」では、伝承600年と記されている。その頃とは、近江を二分した応仁の乱が勃発した室町時代である。日本の歴史を縦断してきた遥か彼方に生命を宿した生物が、現存してきたことになる。
 「ここまで、よくぞ命を繋いできたことか」と仰ぎ見ながら、もしかして、精霊が宿かすかもしれないと考えてしまった。

 安曇川町昔はなし第一集では、 一本杉と弘法大師
昔、弘法大師が朽木の途中へ行こうとして、一ノ瀬谷の入口で、お昼の弁当を開き、道のそばの杉の枝を折って箸にし、食べ終って、その箸を地面に挿したところ、その箸が杉の木になりました。杉の木は、ぐんぐん大きくなって、上古賀の一本杉と言われるようになり、饗庭野への道しるべとなりました。


 昭和51年上古賀有志老人の話し合いからつづられた記述である。

 今では、この樹に訪れる人も、知る人も少なくなっている。が、大正4年頃、今よりしっかりとした枝ぶりのもとに、着物姿の人が通行している写真があった。かつて、「上古賀の一本杉」は、南饗庭野の入口の道標として、シンボル的な存在だったようだ。
尚、この樹は個人の所有のものだが、市の天然記念物に指定されている。

 ここには、見張り小屋の兵士に「演習中だ」と拒まれたり、その他色々で3回以上出向いた。









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