山中では鳥のさえずり、耳を澄ませると虫の声が聞こえる。が、静けさで支配され、寂しいぐらい森閑としている時もある。
聞こえるのは、急登にさしかかった私自身の荒い息づかいだけ。
カサコソと物音がした、次の瞬間。静寂を切り裂くように、メリメリとつんざく音・・・・。
あちこちで起こった。獣の動く様子もないが、人の気配が感じられた。
原皮師(もとかわし)だった。
手持ち用具は、へら・短棒とロープ・腰ナタだけ。太いヒノキ木の根元部分から、「へら」を差し込み檜皮を剥がしていた。
木によじ登るのは、短棒2本にロープを結びつけただけの簡単な道具である。 目線に短棒を幹に対して横にあてがって、ロープで結ぶのではなく巻き付けていた。
ロープの輪っかを作ると、そこに足をかけながら、体を持ち上げては、足場を築き皮を剥いでいた。
その作業が終わると、もう1本の短棒を同じように固定して、更に一段上へと上って行った。そこで目にしたのは、上から足でロープをたぐり寄せると、足場の短棒が解かれていたのだ。
「凄い技だねぇ」と話しかけた。
「先輩から教わったものだ。平安時代から受けつがれてきた『ブリ縄』だ」と自慢気に。
「作業はいつもやっているの」
「盆明けから桜が咲くころまで、山にはいっている」。
冬場の乾いた時期をえらんで、重要文化財など日本建築に欠かせない屋根用の檜皮を採取していた。一度皮を剥いで8~10年くらいたつと、新しい表皮ができるようだ。
「この作業をまたやらしてもらうので、原木に傷がつかないように気を使っている」と。
仕事の邪魔にならないようにと遠慮がちに若者と話しかけた。
持ち帰った皮は、コツコツたたいて一枚の皮に仕上げるには手間がかかる。年老いても、この檜皮を整形する居場所があり、一生食べていけるようだ。
「若者は、雑音まみれの都会に憧れるが、年をとると、故郷に戻ってくるものだ。まだ、時の向こうを見ていないからね」と問いかけると、
「そうかなぁ、でも、この作業は寂しい」と一言。
お互い私語もなく、3人の若者は、黙々と作業を続けていた。
この若者には、檜の香りが漂う今の仕事が、この上ない「静謐」(せいひつ)な空間だとわかるには、時間がかかるようだ。