奇怪な樹形の株杉群/「21世紀の森公園」

nonio

2017年01月13日 08:25

 
 「21世紀の森」と言う言葉を冠称した公園とか広場が、日本各地にある。奥美濃の関市板取地区にも、「21世紀の森公園」がある。ここには、珍しい巨大な『株杉』が密集しているので、全国から多くのカメラマンが集まってくるところだ。

 駐車場から蕪山(かぶらやま)を目指しして、遊歩道をしばらく登って行くと株杉の森が現れた。
 杉は、太陽の光を求めて真っ直ぐな幹が、上に伸びていくものだと、思っていた。ところが、異様なぐらいずんぐりとした大株から、何本もの支幹が伸びていた。つい「どうなっているの」と呟いてしまった。中には、余にも肥大化した樹形には、呆気にとられた。

 もともと、杉は生命力が驚くほど強い。風などで幹が折れても、その脇からも発芽し、幹が株立ちすることもある。また雪圧で地に付いた枝から発根することもある。だから、樹木から厳しい自然環境の中を生き抜くたくましさ、脈々と受け継がれる生命の逞しさを感じ取れるのだが・・・・・。

 里山に近いところに、100本以上もの大株が群生していることは、誰が見ても人工的につくりだされた姿なのか、自然界の成り行きで出来上がったものか、一目瞭然であった。 

 株から少し上部の幹を何度も刈り取られ木材として収穫。その部分からまた新しい幹が生え・・・。それを何度も繰り返された。その結果、グロテスクな株杉が出来上がったのだ。推定樹齢は400年〜500年。 一口に500年前とは、応仁の乱によって幕を開けた戦国動乱の時代が本格的に始まった時代から営々と人の手によって、萌芽更新させてきたのである。杉にとっては、これから伸びようとする幹をバッサリ。たまったものではない。

 私は、自然と人とのかかわり合いに繋がった里山の森について、決して反対しているわけではない。自然との共生の中で生活して行くことは大切なことである。 ただ、同じ生き物をここまで、痛めなくてもいいのではないか。 人の「業」を感じ取っていた。なり【業】・わざ【業】、でなく、ごう【業】である。

 昨年、『株杉』の写真が、滋賀県の写真展で入賞したと言っていた。
「今回、ここに来ても、もう遅い」
なぜなら、「凄い生命力だとか、パワーをもらった」など感動される写真を撮っても
評価されないだろうと。
冗談交じりで、「審査員が変わったころに・・・・」と言っていた。
 
 杉の苗を眺めていると、ほっとした。500年後、この保護地区で真っ直ぐに伸びてもらいたいものだ。

伐根から発生していた立条枝が林立


原型すら留めていない株杉

朽ち果てた老木の一隅に種子が発芽して、新たな苗木





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