私は写真の基礎を学びたくなり、滋賀県草津市玉川市民センター主催の『図夢の会』に入った。メンバーの面々はフイルム時代から写真に勤しんでおり、私にとっては予想を遥かに超えた多くの知識が、習得できるクラブである。
今回は、京都の南禅寺周辺での撮影会が行われた。ここには水路閣など行きたいところがあった。が、南禅寺三門で何時間もとどまった。風格のある重厚な太い柱が並んでいる建物を眺めていると、色んなことが頭に去来し、何かが見えてくるようにも思えた。
威風堂々とした太い柱が並ぶ南禅寺
今まで、南禅寺三門を気にもせず通り抜けていた。
ところが、ここを何回も行き来していると敷居が尋常ではないぐらい高く、跨ぎにくい。「よっこらしょ」と掛け声をかけなければならない。
ここで一旦、人を絶ち止めるため、敢えて造られているか。それとも通過させないための警告なのか、建造物の強度のため必要なのか、よく分からないでいた。
物知りの写真仲間に、この敷居について聞いてみると、
ここは、南禅寺の字のごとく、”禅寺”の三門である。 「三門」とは「三門脱門」という意味で、「物事に執着しない、見かけで差別しない、欲望のままに求めない」空・無相・無作の3つ の事柄を表し、迷いや煩悩から解脱するための門である、との説明を受けた。
聖域と人間の俗世との結界である三門の敷居は、外の世界と内の世界を仕切ってある境界。つまり安易に踏み入っていけないことから、敢えて通りにくくしている。
写真を撮影することは、対象物に時間をかけてじっくりと観察することになり、思わぬ効用があるようだ。
南禅寺三門に横たわる高い敷居
意味のある敷居が、事の過程を一向に知らない人たちの単なるベンチとなっていた。のんきなもんだ。
南禅寺の三門にて、「ああでもこうでもない」と思案しながら写真を撮っていると、芥川龍之介の処女作「羅生門」の小説が頭を過った。死骸が累々としたところで、繰り広げられる世界が思い出され、南禅寺に重ね合わせていた。
あらすじは次の通り。
羅生門は794年平安京遷都に際し、朱雀大路南端に建っていた正門。大きさは現在の南禅寺三門より大きかったという。当初は外国からの使節が通る重要な門で、平安時代中頃には人の賑わいもあった。その後地震や台風などの災難がつづき、次第に時の政権の財力・政治力も翳り始め、もはや羅城門は朽ち果てていた。芥川龍之介は、ここを舞台にした今昔物語を題材に短編を綴った。
雨の降りしきる荒れ果てた死体の捨て場となった羅生門で、行き場を失った下人が、一晩を明かした。そこで、女の死体から髪を抜いていた老婆を見つけた。この行為に悪への反感や憎悪から、老婆に飛び掛って取り押さえた。理由を聞けば、髪は鬘にして売るという。
言葉を交わしている内に、「恨むまいな、おれもそうしなければ、餓死する体なのだ」と言い、正義感は消え失せて、 こともあろうか老婆の着物を剥ぎ取る不義を働き消え去った。 下人の行方ゆくえは誰も知らない、で終わっている。
南禅寺をあっちこっちと立ち回っていると、どうしても、下人や老婆のいた時分に思いを馳せてしまい、頭の中は、おぞましいイメージに苛まれた。そんな中、ファインダー越しに母と娘が語らっている姿に、我に返った。
敷居の高いことも何と無く納得しながら、現実は、いかに平和な世界だと・・・・。のどかなものである。
南禅寺で母と娘が語らっているのどかな光景