近江から伊勢へ抜ける街道が 「千草越え(ちぐさごえ)」と言われている。甲津畑から、杉峠(1042m)・根平峠を越えて菰野町千種に至る長くて難路の山道である。
かつて、2ツの峠には茶屋があり、武士、商人、旅人などが往来していた。主に近江商人が利用していたが、戦国の名だたる武将も行き来し、鉱山の採掘も行なわれていた。つまり、千古の歴史に刻まれたロマンに満ち、一攫千金を夢見た街道であった。が、今では、人気もない静寂が支配する自然に戻っている。
先日、この杉峠を目指した。甲津畑から緩やかに続く藤切谷を登って行った。渋川を離れ、ジグザグの坂道になり、峠に近づいてきたことが感じられた。ずり落ちそうなところを通り抜け、灌木が点在する溝道を辿って行くと、標高が1036mの千種越え最高地点に達した。風の通り道になっているのであろう、県境主稜の山々の谷から吹き上げてくる風が気持ちいい。眼前に、「峠」独特の望洋とした景観が、広がっていた。幾度訪れても、ここに、佇むだけで感慨深い峠のひとつであった。
ここには、この峠の名前に因んで付けられた大杉があった。風雪に耐えがたく1本が立ち枯れ、もう1本は足もとに朽ちていた。
ここを通過して行った人々が、この樹を眺め、励みとなり、どれだけ力づけてきたことか。無残な姿は寂しい限りである。かろうじて、そばに若木育っていることが救いであった。
2015年11月30日、杉峠の杉が、2本共枯れていた
2004年には1本は弱っていたようだが、兎に角健在であった。2009年4月、既に1本は落雷などで立ち枯れていたが、もう1本は主幹が枯れていたが、大きく垂れた枝から元気な葉を付けていた。2012年まだかろうじて1本が生きていたようだが、我々の仲間が2013年5月2本共枯れたことを確認している。
2009年4月、1本は立ち枯れ、もう1本は取りあえず健在
この杉峠については、「江戸時代の古図に杉が描かれている」との記述を読んだ記憶があったので、この情報から古図を手繰ってみた。
滋賀県立図書館の「近江デジタル歴史街道」から絵図を丹念に検索した。その結果、滋賀県管下近江国六郡物産図説4/野洲郡・蒲生郡/近江国蒲生郡甲津畑村銅山絵図に杉の絵が描かれていた。 1872 年に滋賀県が作成したものである。
杉は何も語らないが、ほぼ150年前、既に立派な成木であったように思える。そして、ここに描かれていることからして、ここを通過していく先人達に、特別な思いを抱かせた樹であったことには、間違いがない。この絵図から、この杉に因んで杉峠と言われてきた由縁の証である。
2本の杉は江戸時代から生き続けてきたのであろう。2013年ごろに命が尽きて朽ちてしまった。
千種越えの古地図 杉峠の拡大図