海住山寺[今あるは 尊し]

nonio

2015年04月03日 15:16

 
 滋賀県には美しい山容をしている三上山という山がある。私は、近くに住んでいるので、よく登っている。さて、京都にも同じ文字の山があるので出かけてみた。三上山を慣れ親しんだ呼び方として「みかみやま」だと決めつけていたのだが、「さんじょうさん」であることを、今回訪れて知り、多少戸惑ってしまった。 でも、二上山と書いて「にじょうざん」と呼ばれていることからして、それなりに納得。

 3月21日、JR奈良線棚倉駅から三上山を目指し、帰路は海十山寺に寄る約13kmのハイキング。 湧出宮の鳥居神社から手入れが行き届いた竹林の中を道なりに進み、『かいがけの道』という道標が付けられてところから山道となり頂上に達した。

 360度奈良北部・京都南部、そして生駒の山々が、設置された高台から一望で出来る、と聞いていた。中でも、少年時代駆けまわっていた生駒山を見たいと思い、頂上に林立するテレビ塔を探したが、あいにく、かすみがかかり確認できなかった。帰路は『冒険の道』の道標を辿り、途中から山越えをして、海住山寺へむかった。道中、最近滅多に出合えない春蘭が、明るい林床にふっくらとしたつぼみを育んでいた。

      三上山頂上           春蘭           海住山寺の境内
     

        海住山寺本堂の賽銭箱

 木津川や大和の山並を見渡す位置にある海住山寺(かいじゅうせんじ)は、五重塔、仏像などがある古刹だが、私は、本堂の賽銭箱に刻まれていた次の言葉に惹かれてしまった。

「人の生は 得ること難く やがて死すべき命 今あるは 尊し」

 ひととして、 この世に生まれることが難しく、有り得ないほど奇跡である。たとえ生を受けてもいつか死に絶える、と説いている。ひとを語るとき、「生」と「死」を別のものでなく、生死は「一つの如し」なのである。表裏一体の世界を持ち合わせているからこそ、今ある命が、有り難く、尊いと戒めている。
だから、生きていることの感動や喜びが、この一点において一層強く感じることができるのだ。
 一日一日を精一杯生きていくために、私は『一日一生』と言う言葉を大事にしている。阿闍梨の先達で千日回峰をめぐる

 その後は三上山の山並みをバックに、鄙びた風景を眺めながら加茂駅を目指した。

                  森に囲まれた山城国分寺跡を目指す 










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