2008年10月02日 00:41
コヤマノ岳と武奈が岳の鞍部の手前、僅かに頂きが目え始める地点になると、ブナはすくすくとした
伸びやかな姿になり、登山路まで木漏れ日が射し込んでいた。
武奈が岳への最後の急登付近では、潅木が僅かになり、笹が多くなった。冬季の寒さ・積雪に耐えがたくなり 、植物も小型化してきた。
武奈が岳付近の森林限界地点
武奈ヶ岳付近の稜線では、積雪と強風の影響を最も強く受け、樹木が生育しなくなる。
これ以上の地点には、樹木がない。人間にとっては、全く感知できないが、植物にとっては、この一線を越えると生存できない厳しい環境の変化があるのであろう。 この点が森林限界であるが、常々、何があるか樹木に問いかけているのだが。
草地のドーム状の武奈ケ岳(標高1214.4M)は、比良山系の最高峰である。この名前の由来は、まさしくブナの名前に関連して付けられたのであろう。山頂からの眺望は、360度展望ができた。 ほぼ南の方向に、比良山系のもう一つのシンボルである蓬莱山(1174m)と打見山(1108m) などの山並みがみえた。 数年前、冬季に通過した西南稜も懐かしい。
蓬莱山の遠望 西南稜
登山ルート下山は、登ってきた道を戻り イブルギのコバを経由して八雲ケ原についた。 途中、既に秋の気配を感じたのか群生した銀色のススキが、風になびいていた。北比良峠で一息いれて、ダケ道を一挙に下った。日の落ちるが早まってきたのかカモシカ台では、薄暗くなってきた。風化した溝状の中を歩き、正面谷の 川原に出て、川の橋を渡り大山口に到着した。後はイン谷口まで広い道を下っていき、比良駅まで歩いた。
H氏主催の武奈ケ岳登山に参加した。ガリバー少青年旅行村から大摺鉢を経由して武奈ケ岳を目指し、下山は、北比良峠からイン谷であった。武奈ケ岳を往復するルートとしては、リフト・ロープウェイ廃止後、人気のあるコースである。
野洲住人にとっては、一歩家を出ると、東側には、近江富士と称される端正な三上山が、西側には、標高1000mを越える比良連峰が目に入る。
特に、「比良の八紘(はっこう)荒れじまい」と言われる春先の季節での遠望が面白い。琵琶湖上と比良山地の温度差によって生じた風が、突発的に吹き荒れることがある。
冷たい風が吹き荒れ、峰々が真っ白となった時の比良山は、神々しい。また、風がなくなり温暖な時には、かすみがかり薄青色に変化する。私は、この色調の変化より、コントラストの変化を楽しんでいる。
最も気に入っている場所は、「希望が丘文化公園」のウォーキングの戻り時、銅鐸博物館前付近の道路(希望が丘北線324号)である。天気がよいだけではダメで、風が吹き澄み切った時にのみ、僅かな琵琶湖と対岸の山並みが見られる。波の揺らぎにより湖面がきらきらとひかり、水平に伸びた湖面とリトル比良の山並みの裾野が相まった風景が、まことに素晴らしい。
広重の名画の「比良の暮雪(ぼせつ)」として、比良山が、知られているが、私にとっては、これ以上の構図と思っている。
ところで、権現山・蓬莱山・打見山・比良岳・烏谷山・堂満岳・釈迦岳などの峰々が続いている。だが、武奈ケ岳は、堂満岳の後ろで見ることが出来ない。
どうしても、比良山の主峰である武奈ケ岳(標高1214.4M)に訪れなければならないと思っていた。
武奈ケ岳との出会いのひとつは、一昔前、江若鉄道を乗り継いで、比良駅から金糞峠を経由したルートで辿ったことがあった。その時、武奈ケ岳に登っていたが全く記憶になく、比良の女王とでも称すべきシャクナゲが登山路を塞ぐように群生していた。申しわけなかったが、傾いた枝を踏み倒し、踏み倒したことしか記憶にない。そして、数年前、坊村から西南稜を通り武奈ケ岳の頂上を踏んだ。ところが、厳冬期で、すっぽりと雪に覆われた姿であった。
今年の4月27日、釣瓶岳へ行った際、周辺の峰々からひときわ高い武奈ケ岳が見られた。
このとき初めて、姿の概容をイメージできた。これらのことから、武奈ケ岳の姿を確かめたいとの思いに駆られていた。