日付 年2月25日(木)
山名 蓬莱山~権現山縦走
コースタイム
打見山 10:00 蓬莱山 10:40 小女郎峠11:40 ホッケ山 12:00
権現山 12:50 栗原14:15
肌を刺すような風が吹き荒れる頃になると、比良山系の峰々が真っ白になり、人を寄せ付けない厳しさを漂わせ、畏怖すら覚える。毎日、この山を目にして暮らしている私にとって、四季のうつろいと言うより季節の変わり目を実感する時である。 今年の滋賀県内の冬場の気温は平年より1~2度高く、中々冬化粧にならなかった。
2月24日、シベリアに溜まっていた寒気が一気に流れ込み、寒波が襲来。たちまち、比良山系がすっぽり雲に覆われた。こうなると、翌日、晴天にさえなれば、白銀の素晴らしい世界に生まれ変わる。この日を持っていた。
「冬季の比良山系に行ってみたい」と言う私より、1/4世紀も若い女性二人を連れて蓬莱山~権現山縦走に出掛けた。
アルプスゴンドラの切符売り場で、「片道」と言うと、怪訝な顔をして「片道ですか」と聞き直してきた。
「蓬莱山を経由して和邇駅に向かう」と説明すると、それでは、登山届出書を書いてくだいと命令口調で指示してきた。山を縦走する人が少ないようだ。
多くのスキー客に混じって、麓の山麓駅から乗車定員121名のアルプスゴンドラの後部に乗り込んだ。打見山山頂まで斜長1819m距離を約8分。ガラス越しの光景が、驚く速さでズームアウト。眼下の景色は、 琵琶湖をかたどるように雪化粧していた里が、瞬く間に箱庭に。青々とした琵琶湖に埋め尽くしていった。日本一の速さで。
蓬莱山頂上から大きくうねる丘陵のような頂が並び、たおやかな山容が薄っすらと白んでいた。 縦走路が、黒く跡形を残し、なだらかに延びていた。立ち入り禁止のロープを越えて、この日、山に分け入ったのは、我々ともう一組の3人連れパーティーだけだった。彼らは、小女郎ヶ池まで行き、引き返すと言っていた。
アイゼンを「キュキュ」と鳴らしながら、奥へと踏み入れていった。昨日の吹き荒れたおかげで、空気中の塵も叩き落され、何もかもスカッと見通せ、すがすがしいスタートをきった。
琵琶湖大橋を挟んで北湖、南湖と呼ばれている辺りの地形
前々から、私は、書かれた地図でなく、継ぎ接ぎだが肉眼により、琵琶湖の全体像を脳裏に焼けつけたい願望があった。琵琶湖は南北に細長く一度に見通せない。だから、周辺の山に登っては、光景を貯めてきた。現在、琵琶湖一周を行っている。湖をぐるりと自力で歩いて、足取りの方向、辺りを眺めた景観から、琵琶湖の全体像をとらまえようとしている最中である。
琵琶湖は、かつて「淡海の海」「鳰(にほ)の海」「さざなみ」と呼ばれて、室町時代の後期になって今の呼び名になった。湖のかたちが、南にくびれ北に向かって広がっている。このかたちが、楽器の「びわ」に似ていることから名前が決まったようだ。 最狭部に架かる琵琶湖大橋を挟んで、北側部分の北湖、南側部分の南湖と呼んでいる。このくびれたあたりの地形が、私にとって、気になるところであった。 私の今回に山行の目的は、頭に描くこの特異点の俯瞰図と実際見下ろした光景を再度、照らし合わせてみたかった・・・・。
琵琶湖の周りは様々な高さの山で囲まれている。この水面が場所によって高さも変わっているように見えた。が、距離63.5km(西浅井町塩津-大津市玉ノ浦)に渡って標高 86mの同じ水位であることに、改めて自然の不思議さを感じていた。
小女郎ヶ池からホッケ山・権現山と進むにつれて地肌が目についてきた。権現山は、比良山系の南の端にあり、これから山が終わろうとする位置にある。ここは、平と栗原・和邇駅との分岐点でもある。権現山からの下山ポイントは北緯35°11`29" 東経135°52`19”。 以前、この分岐点にある道標がすっぽり雪に埋まり、慌てたことがあった。だが、道標がむき出しであったので、GPSも無用であった。
灌木に霧氷が付いていた下山道を一挙に下って行った。霊仙山からスゴバン(出合)を通過し、栗原で、バスの時刻に間に合わすように懸命に歩いた。 彼女達の足に合わすのが精一杯。体力の違いをつぶさに見せつけられた。
ホッケ山の頂上