2月末、イン谷から、金糞峠を目指し、堂満岳(標高 1,057 m)を登った。厳冬期だと言うのに、地肌がむき出しだ。
イン谷で登山届を出し、大山口から青ガレへ。この正面谷では雪崩が発生するところだが、全く気にすることなく、金糞峠へと向かった。さて、この峠、どうして「金」と「糞」の文字を並べたのか、何と読んでいいのか戸惑ってしまう。でも、「くそ」と口に出すのは、はばかられると思われるが、そうでもない。
「料理が下手くそ」など、接尾語的に「くそ」を付けて話している。また、糞はさまざまな慣用句にも用いられている。糞の役にも立たぬ・糞も味噌も一緒 ・糞を食らえと言い 。むかつく時など、「くそ」と叫んでいる。何気なく否定的な意味に使っており、あまり忌み嫌う言葉でもない。
「糞(くそ)」という漢字は「米」と「異」を重ねたものである。米が別物になることを意味するのであろう。動物が栄養分を取って肛門から排泄する食物の不要物。つまり、糞には「カス」と言う意味が込められている。
かつて私は、大型電気炉を扱ってきた。2000℃の高温で鉱石を溶融していた。この時発生する不要物を、鉱滓とかノロとかと言っていた。金糞とは言わなかったが、この文字を見て、なんとなく分かっていた。
「たたら製鉄では砂鉄を炭で燃やし、溶かしながら、鉄を作った。鉄づくりの過程で鉄の『かす』を金糞と呼んでいたのであろう」。だから、この金糞の地名が言い伝えられ、いつの間にか「かなくそ」と呼ぶようになった。滋賀には金糞岳もある。この山は、伊吹山に次いで県内2番目に高い山である。たたらに関係があるので、付けられた山名である。製鉄は 5 世紀後半ないしは 6 世紀初頭、吉備国とこの近江国の高島町から志賀町にかけて位置する比良山脈山麓に始まったと言われている。
この峠を「かなくそ」と喋っても、「くそ」そのものをイメージせず、「カス」を連想していれば、なんら違和感は生じない。わがクラブの女性も何のてらいもなく「かなくそ」、「かなくそ」と言っている。
金糞峠
昭和30年代からは武奈ヶ岳を中心とする比良山地北部の観光開発が始まりだした。武奈ガ岳を目指すには 金糞峠を詰め、八雲ガ原のコースが通常であった。今では廃止された北比良峠山頂駅までの比良ロープウェイすらなかった。
浜大津から二両編成の江若鉄道に乗り込み比良駅へ。私にとっては初めての本格的な登山であった。
布製の重たいテントを詰め込んだザックは肩に食い込んだ。よたよたと青ガレのガレ場を通過して、最後の急登を登り詰め、金糞峠(880m)にやっとたどり着いた。動くのも億劫な身体を振り向いた時、峠越しに琵琶湖があった。ここまで登ってくれば、前に進まなければと覚悟したことを覚えている。
翌日、武奈ガ岳から八瀬まで歩き、バスで京都へと抜けていったが、想い出深い記憶がない。なぜか、いまだに、この峠の情景だけが、生き生きとして蘇ってくる。真っ赤に染まった金糞峠から琵琶湖を眺めている自分の姿を俯瞰している自分があった。
金糞峠は私の登山の出発点、金糞峠の名前はいつまでも心に刻まれた峠であった。
金糞峠に至る最後の急登
この峠に、「比良の暮雪」の絵図に関する掲示板がある。歌川広重(1797 ~1858)が最晩年に描いたと言う竪判構図絵。
金糞峠から眺めた構図は、U字型の峠を大胆に大きく描き、視線を近景から遠景に誘うように、その先に琵琶湖に浮かぶ島であり、対岸の山々が描かれている。
金糞峠に掲示されている説明板
生憎、琵琶湖まで見通せる写真を撮ることができなかったので、(sprinterbears@yahoo.co.jp)さんの了解を得て、写真を載せた。
山登り、写真など この写真と遥か昔の江戸時代に描かれた「比良の暮雪」が驚くほど一致している。この金糞峠が、「比良の暮雪」と言われる所以である。
金糞峠から眺めた光景
歌川広重は比良暮雪として他にも色々描いている。その中で、 横大判 錦絵 保永堂版「
比良暮雪」がよく知られている。
幾重にも支稜が重なり、雪に覆われた迫力ある比良山岳が、美しく画かれている作品である。この絵図は、琵琶湖の湖西の入江を南から見た構図だが、琵琶湖の対岸の守山・野洲から眺めたように紹介されている・・・・・・?
私には、少し違和感があったので、どこから望んだものだろうかと探っていた。堅田のバスの終点生津の一つ手前の「岡出」辺りから比良山を望んだ時、この構図とよく似た光景があった。
歌川広重の風景画は、四季の移ろいの一瞬を切り取り、詩情がそそられる上に、必ず人物を添え、哀愁、・切なさが滲みでいる。私は、出来るだけ、歌川広重が描いたとされている視点に立ち、描かれた絵図を原風景に注ぎ込むようにして、より深い情緒を楽しむようにしている。
2016.02.21、この日、イン谷には大勢のヘルメットを被った若者が、集結していた。アイスクライミング訓練のために、ハーネスにアイスピック・カラビナ等を装着して早めに出発していった。われわれは一般ルートで登り、第3ルンゼ辺りを覗き込んだが、登攀者は見えなかった。ルンゼには余にも雪が少なく、撤退したのであろう。
堂満岳の第3ルンゼ辺り
帰路は、堂満岳に登り、東稜道を辿ってイン谷に戻った。