一度、琵琶湖に浮かぶ鳥居から白鬚神社を眺めたい

nonio

2018年03月07日 08:46

 
 琵琶湖の西側、国道161号線沿いを走っていると、なおさら山がせまり、道路が琵琶湖に押し出される。すると、湖中にポツンと朱塗りの鳥居が見えてくる。そこが、白鬚神社である。
 この神社は、 創建が1900年前の近江最古の神社と言うより、鳥居が湖中にあることから”近江の厳島”と呼ばれ、珍しがられている。
 休日の夜明け前だと言うのに、多数の自動車が乗り付けられ、駐車もままならない。陽が上がると、いつの間にか静けさが戻るが、今や、ここは、鳥居の幻想的な風景のインスタ映えする人気スポットになっている。

 ある日、ボードに立って、パドルで水を漕ぎながら鳥居の周りをゆったりと湖上散歩している人達を見たことがあった。“Stand Up Paddleboard”の頭文字をとって「SUP」(サップ)と言うらしい。
 その様子を見ていて、ふと気づいたことがあった。

 鳥居とは、神と人間界を区別するさかい目に建てられた神域への入り口である。
白鬚神社の沖にある鳥居を通して瞻望している沖島や、その背後の奥島山・長命寺山は、何なんだろう。しっくりしていない。

白鬚神社の自然物の御神体、依代は、神名「比良神」からして、比良山でなければ・・・・・・・。
だから、湖畔に佇む鳥居から、白鬚神社を礼拝しなければと想いが募っていた。

 最近そのチャンスが訪れた。「ぐるっとびわ湖島めぐり」で沖の鳥居にぴったりと船を止めてもらった。
湖側から見た社殿と背後の緑の山の稜線がなだらかで美しかった。
 
琵琶湖湖畔に浮かぶ鳥居から白髭神社を望む
 
鳥居から沖島その背後の奥島山・長命寺山


 
 本殿・社殿が陸上にあるのに、鳥居がなぜ水中にあるのかその謂れがあるのであろうとか、水中にあることにより、何か霊験あらたかなことがあるかな~と思って経緯を調べてみた。

 私の愛読書とまでいかないが、司馬 遼太郎「街道をゆく」をよく手にしている。
この本の執筆にあたって、一番気に入っていた「近江からはじめましょう」という司馬の言葉で近江から取材を行っている。まず始めて訪れたのが、琵琶湖の湖西小松漁港。そして、湖岸から58mの湖面に浮かぶ赤い鳥居で知られている白鬚神社にる寄っている。

「司馬遼太郎の街道1」で、白鬚神社の鳥居について次のように記述されていた。

 代々神社を守ってきた梅辻春樹さんとの会話がある「室町時代の近江名所の屏風絵に、湖中に赤い鳥居があります。その後なくなったようで、せんぞが見ていた記録はありません。それを昭和12年に大阪道修町の薬問屋小西久兵衛さんが復興した。白髭の神さんを祀っているのでしょう。・・・・・今の鳥居は昭和56年に立て直したものですね」
尚、白鬚神社の境内に「鳥居復興碑」が建てられていた。同様のことが刻まれている。

ウイキペディアなどでは、
鳥居について古くは弘安3年(1280年)の絵図では陸上に描かれているが、その後の琵琶湖の水位上昇に伴い水中に立つようになったと伝える。弘安3年(1280)の原図をもとに描かれた「比良荘境相論絵図」

 湖中に建てられた謂れには、特に深い意味がないようだ。だからと言って、湖中の赤い鳥居の存在価値が、変わるものでもない。





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