堀坂山から高見山を望む

nonio

2013年02月04日 13:24

 2013年1月12日(土)堀坂山・観音岳に出掛けた。この山は、滋賀県に隣接する三重県にあるのだが、はじめて聞く山名であった。この堀坂山(757.4m)は局ヶ岳、白猪山とともに「伊勢三山」または「伊勢の三つ星」と呼ばれ、また「伊勢富士」の別名を持っている。松阪の人達にとって、堀坂山は朝な夕なに仰ぎ見る山で、「ほっさかさん」の愛称で親しまれている。この日も、先生に引率された数十人の高校生、犬を連れた人、若夫婦から老夫婦と沢山の人達に出会った。

 県道45号の堀坂峠から鳥居をくぐり、はじめはかなりの急登であるが、登り詰めていくと次第に楽になっていった。ほぼ30分程度で堀坂山の頂上に立てた。途中、大日如来・不動明などが祀られ、山頂にも「おんな権現」が祀られていた。この山は、近郷の村人が毎年雨乞い祈願の祭りが行われている信仰の山であった。                
堀坂山の途中の大日如来像

 今回辿ったコースは、三重県松阪市の森林公園から観音岳605.9mに登り、一旦県道45号線の堀坂峠に下り、更に堀坂山をピストンした。

 観音岳から対峙している堀坂山を望む
      

 歳を重ねてくると、感動を覚えることも少なくなってくる。ただ、大自然に抱かれている時、心を動かされることがある。 体力も確実に衰えてくると、自分の存在もいつかは大自然に還元しまうことを意識し始めるようだ。
 本来、ひとは大自然の「一部」であるのに、人間が作り上げた快適で便利な都市社会で生活するようになった。そこで繰り広げられたことは、地位や、財を獲得するため人間同士が競い、贅沢な生活を夢見て働いてきた。そして何もかも手に入れることができると信じてきた。でも、そこには、求めていた充実感は無かった。

 大自然から生命を育まれたひとは、すでに組み込まれたこの潜在意識に導かれるのであろう。山などの風景に思慕を覚え、心休まる山にいくのであろう。老境になると、益々、大自然への傾注(帰依)が強くなるようだ。

 眺望のよい山頂で、遠くにうねるような山並みを見るのが、山行の楽しみの一つにある。 私は近いうちに、この掘坂山の続きにある樹氷の「高見山」にいきたいとの思いで、高見台地の山々を眺めていた。
そのうち、仲間も一緒になって「高見山」を探しはじめた。
「あの山はなんと言う名前。あれでもない。これでもない。その横のピークがそうだ」とか言いながら探した。
ピークの鋭い峰を探し出すと、全員で感動し深い感銘を受けた。

 仲間とのたわいない話だが、大自然が安住の地であるとの共通の認識を持った仲間にしか通じないかもしれないが、お互いに対象を見ながら心の弾みを分かちあえる誰かがそばにいて、感動を伝えながら満足していた。こうして、ひとつひとつ風景の画像を仲間と重ね持ちながら、大自然を一歩一歩と取り込み、大自然へ帰って行くのであろう。

 この写真、鋭いピークが全員で「高見山」と断定した。間違っているかもしれない。でも、そんなことどうでもよかった。
               
 中央の鋭いピークが「高見山」


堀坂山・観音岳の地図

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