雪の下の桑實寺・なんじゃもんじゃの沙沙貴神社

nonio

2010年06月15日 11:48

  安土ウォーキング(桑實寺・観音正寺)
  安土ウォーキング(安土城) 
 
 最近、安土周辺ウォーキングに行く機会が多くなった。安土山(190m)から安土考古博物館や信長の館のある近江風土記の丘に寄り、繖山(きぬがさやま)(432.7m)の中腹ある桑實寺から沙沙貴神社に至るレイカのフォトウォークに参加した。
 同じところに訪れると、風景も同じで飽きてしまうと思われ勝ちだが、視点も変わり新しい発見もある。それ以上に季節がめぐり草木の様子も変わり色々な楽しみ方が出来るものだ。

 安土城跡を案内も兼ねてひとしきり散策して、桑実寺に向かった。「貴人に差しかざす衣蓋(きぬがさ)のようにふんわりした美しい山容」と名付けられた繖山を目の前にすると幾度歩いても心が和む。

 山の裾野を歩いて立派な門構えの桑実寺の参道入口にやってきた。この背後に石段が待っていた。

 急勾配の石段を見ると、誰もがここから本堂まで行くのにどのくらいの段数になるのであろうと思う。参道入口から500段の石段と紹介されているが、本当であろうか…。勘定することにした。それも、正確を期するため、仲間2人でお互いに「ひとつ、ふたつ」と声を出し合った。途中、橋を渡ってしばらく進み、本堂近くの坂は一段と厳しい、やっとの思い出で最終石段を踏んだ。

462段であった。納経所のおじさんに息を整えて確認すると「450段」との返答があった。

 桑實寺の本堂の右手に道標があった。この道標は少し離れたところにひっそりと建ってあったので、前回訪れた時には全く気づかなかった。

是より くわんおんじ 江 八丁   
     多賀大社   江 四り半                

この変体仮名は、レイカの仲間M女史に解読を願った。

 「くわんおんじ」とは、観音寺へ通じる道しるべである。距離にして約870mである山道。「木曽路名所圖會」に見る桑実寺でも「是ヨリ観音寺ヘ至ル」と書かれていることからして、旅人が通ったところだが、今はかなりの難路である。

 一方、多賀大社まで17.6kmとかなり遠い。ここから、地獄追越えから雨宮龍神社の山越えをして朝鮮人街道を経て多賀大社までを示したものと推察されるが、なぜこんな山奥のところに「多賀大社」への道しるべがあるのか不思議でならない。この道標についてはもう少し調べなければならないこともある。

 自然積みの石段は趣があるが、歩き難い。特に下りは、踏み外さないようにと気を配らなければ。この石を踏んで、次はあの石にと一段一段下った。当然、足元に意識が集中する。このような折に出くわすのが、山野草である。それは、「雪の下」。 
        
 この花は小さく、一杯咲くので見過ごしてしまうが、ひとつひとつ眺めてみると中々の美人である。花は 5 弁で下の 2 枚が白く大きく,上の 3 枚は薄紅色で濃い赤紫の点が艶やかで愛くるしい。長い雄しべも目立つ。この花、初夏に咲いているのに、「雪の下」と呼ばれているのはどうしても解せない。2つの下にのびた白色花を雪に言い換え命名したようだ。



 ここ桑実寺には信長が関わった悲しい事件も起きていた。
『信長公記』巻十四(三)によると1582年には 信長が小姓衆5~6人を従えて竹生島に参詣した。遠出で泊まりと思っていた安土に残った女房衆は、信長の留守をいいことに桑実寺への薬師参りに出かけているものもいた。ところが、信長はその日のうちに安土城に帰還した。怒った信長が女房、擁護した桑実寺の高僧たちも殺害してしまった。
 
 田園地帯を真っ直ぐに延びた景清道は退屈する。この信長の出来事の昔話をし、気を紛らしながらJR安土駅に向かった。

 更に南の方向にある沙沙貴神社を目指した。
 この神社は日本すべての「佐々木氏」の総本山である。佐々木氏は宇多天皇の後裔で、源頼朝の旗揚げに際して、大活躍をして、鎌倉幕府成立後、各地の守護職に補されて一大勢力を築きあげた人物である。

 老杉の生い茂る森の中に、茅葺きの楼門に吊ってあるちょうちんに4ケの四角の模様がつけてあった。佐々木氏の家紋は「四つ目結」として世に知られている。神紋も「七つ割四つ目結」で、石柱に、瓦に、本殿前の賽銭箱、はては車止まで神社の至るところに見かけられた。現代のデザインでも通じるシンプルでかつ斬新な紋様である。一目で惹きつけられる絵柄だ。

 沙沙貴神社には、雪が降り積もったかのような真っ白な花をさかせる「なんじゃもんじゃ」木があると聞いていた。 ここにやってきたのは、この奇妙な言葉に引かれて、来たのかもしれない。
「あの木は何の木じゃ」「あの木は何と言う物じゃ」と言う内にひっくるめて「なんじゃもんじゃ」になったのであろう。うまく命名したものだ。「ヒトツバタゴ」と言う正式名があるのだが…。

 しかし、5月末では、とき既に遅しで花の盛りが過ぎていた。高いところに僅か花が見られただけであった。やはり、5月の半ばまでのようだ。



 



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