柏原~醒井ウォーキング

nonio

2008年11月28日 10:13

日付 2008年11月20日
距離 約8.0km 歩数14,000歩
コースタイム JR柏原駅 9:30出発 柏原宿歴史館10:30 清滝寺徳源院11:10
         居醒の清水12:30~13:15 JR醒ヶ井駅 13:50着
いきさつ
 昨年2月7日、私と妻は、何の予備知識もなくぶらっと柏原の街道を散策した。
由緒ありそうな店のガラス越しに、5~7名程度の人達が気ぜわしく何か作業をしていた。近くの古老がおられたので聞くと、
「もぐさ仕込みだ」と答えた。 私も子供の頃、お灸をされたことがあったので。
「もぐさとは、やいと用の…」と聞き返すと、
「そうだ」
「伊吹山一帯はもぐさの原料となる“よもぎ”が取れ、江戸時代の旅人にとっては、疲れを取るための“灸”は必需品だった」と答えた。
後で知ったのだが、この店が、安藤広重が浮世絵に描いた老舗”亀屋佐京もぐさ店であった。

もぐさを生業(なりわい)としている町は、完全に江戸時代に遡っているようだ。もう一度、この風情に触れてみたいなあーと思っていた。
コース概要  
中仙道の面影を深く残している柏原~醒井間に行かないかとの誘いがあったので、二つ返事で行くことにした。
中山道69次の60番目の宿場「柏原宿」から61番目の「醒井宿」までを巡った。途中、清滝寺徳源院に寄って紅葉も楽しんだ。

    清滝寺徳源院の参道付近から伊吹山を望む
 この日は、今年一番の冷え込みとなり、伊吹山もうっすら雪化粧となった。 北陸独特の伊吹おろしの気候になっていた。

  JR柏原駅から、中山道に入った。柏原宿は、江戸日本橋からの中山道67宿のうち60番目の宿場。近江に入って最初の宿場中山道の宿場町でも4番目にはいるくらい大きな宿場だったらしい。
 現在でも、東西約1.4kmの街道には、軒先に、昔の屋号が下げてあって、江戸時代の風情を色濃く残していた。

 一軒一軒、旅籠・もぐさ屋、酒屋・豆腐屋などの屋号を眺めながらゆっくり散策していった。例の亀屋佐京もぐさ店は、改装中なのか、店の前に鉄パイプが立てられていた。
 店の構えには、味わい深い腰付ヨレガラス戸が設けられていた。内部を直接見えないように木板腰付・すりガラスがはめられ、その上のサンには、透明のガラスがはられている。おばさんがガラス窓を一生懸命に磨いていた。創業来340年の年季が入った隠れた作業なのだろう。

 次に、柏原宿歴史館に立ち寄った。特に、「萬留帳(よろずちょう)」が展示されていた。1660年から1955年にわたる柏原宿・村の出来事を書き留めたものです。昭和30年まで筆で書き継がれていたことは、驚き。
また、禁制札・高札展が展示されていた。旅人が多く行き交うようになり、宿場での禁止事項を木札に書き付け、人目に付きやすい所に掲げられたものです。木片ですので、薪にしても良いのですが、代々言い伝えて大切に保存されているのですね。

あわただしい現代のテンポと違う時の流れが感じられました。
   

JR柏原駅         本陣跡       左亀屋佐京もぐさ店     柏原宿歴史館

 中山道を離れて柏原宿から西北へ1kmほど行ったところにある天台宗のお寺に向かった。古木の桜がある参道を登っていた。この桜には、見覚えがあるなーと、思いつつ…。長い桜並木を抜け、左側に曲がり立派な石垣に白壁の土蔵を通って本堂に入った。

 清滝寺徳源院の庭園は、清滝山の自然林を背景に作られ、紅葉は、見事であった。 客殿の縁側の近くまで、真紅の落葉で埋め尽くされていた。ここで、灯篭・石組み・立石など眺めながら暫し一息入れた。「
ただ、残念なのは、中心に配した池には、水がなかった。住職の話では、 「伊勢湾台風の時に水源の川ごと崩れてしまい、清滝と呼ばれた滝から水が落ち、池には水が湛えられなくなった」と説明されていた。この客殿には、大勢の観光客で一杯であった。

            池泉回遊式庭園の紅葉


           清滝寺徳源院三重の塔

 更に、醒井中山道61番目の宿場・醒井(さめがい)宿に向って出発した。

 柏原宿の外れに「柏原の一里塚」があった。ここの一里塚は近年に復元したものである。一里塚は、旅人の里標の目安・駕篭・馬乗り賃金の目安と旅人の休息場所として造られ、一里塚には榎などの木が植えられ、木陰で旅人が休息を取れるように配慮されていた。

 少し進むと、当時の中山道を彷彿させる古木の松並木が残っていた。既に、コモが巻かれ冬仕度がされ大事に管理されていた。
 柏原宿を抜け、小さい峠を越えると長沢(ながそ)の集落に入った。集落を抜けると、中山道の前身である小川の関があった。
この分岐点を、右側の地道の旧中山道を選び、鬱蒼と茂った薄暗い林を進んでいった。坂を下り薄暗い林を抜けると、舗装された中山道に合流して、梓川沿いの道となった。名神高速と国道21号線が並行しで走っている梓集落を進んでいった。国道21号に近づくとそこは梓河内。
  
 柏原の一里塚       コモが巻かれ松並木      長沢(ながそ)      梓ー柏原の道標
 
 国道21号を横断して進むと、「中山道」と書かれた大きな石の看板があり、山形屋という食堂から国道を離れて「醒井宿」に入って行く。坂を登ると「八幡神社」があった。そこは、梓河内を離れ一色地区に入ってきていた。
醒井宿へ入る手前に「鶯の端跡」があった。ここからは西方の眺めがよく旅人はみな足を止めて休息したと説明板されていた。旅人は、まだ見えない最終到着地の京都に向って、思いを馳せながら景勝地を眺めていたのであろう。

真新しい一里塚碑を左に見て坂を下ると、急な階段と大きな鳥居があった。醒ヶ井の氏神加茂神社。この石垣下から湧く清水が「日本書紀」にある地名の由来となった居醒(いざめ)の清泉にきた。ここで遅い昼食を取った。途中風もあり手ごろな休憩場所もなかったので遅い昼食となった。 ただ、酒で一杯ヤッタ。と言うのは、以前柏原の商店で、”つるし柿”を購入し、美味しかったことを想いだし、再びその店を訪れたが、なかった。手ぶらで店を出るのは照れくさいので、日本酒を買ってしまった。
 宿場内には、この居醒の清水をはじめ、十王水、西行水といった湧水が湧き出し、地蔵川に流れ込んでいた。この小川に流れに、梅花藻(バイカモ)群生し、そんな澄んだ川でしか生息しないハリヨという淡水魚が棲んでいるとの説明がされていた。梅に似た小さい花が所々に咲いていたが、ハリヨを懸命に探したが見つけることが出来なかった。やはり、梅花藻の花を見るには夏から晩夏にかけての最盛期に訪れるべきか。 
                   地蔵川

    醒井宿         居醒の清泉         十王水          JR醒ヶ井駅
地図1
参考地図

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