200万本のコスモス畑/近江八幡野田町

nonio

2017年10月20日 05:56

 
 ある日、近江八幡市から八日市に向かって野田町付近を自動車で走っていると、 田園風景の中に突如カラフルなコスモス畑が眼に入った。これが、初めての出会いだった。
 滋賀県近江八幡市南東部の30戸ほどの小さな集落で、コスモスの種を撒いたことがきっかけだったらしい。今や、毎年秋になると広大なコスモス畑となり、観光スポットとしてこの地域のシンボルになっていた。

 今年の場所は「野田町南交差点」の北側に広がっている休耕田に「第16回野田コスモス祭」との表示板が備えられていた。昨年は県道 26 号線沿いの少し近江八幡駅寄りだったと記憶していたのだが・・・。
 ここがあまりにも知れ渡り、この時期、三重や大阪、香川など県外ナンバーの車や県外からの観光バスまでが乗り入れたようだ。 この結果、「県道 26 号線が渋滞を引き起こし、現在の位置に移動した」、とタクシー運転手が話していた。

 踏み入ると、白のコスモス、ピンクのコスモス、赤のコスモスと、畑毎に分かれていたり、色が混在した畑が見渡す限り広がっていた。
家族連れや団体一行の皆さんは、コスモスの風に揺れる花々の可憐な姿を眺めながら、咲き乱れる景色に心ゆくまで堪能していた。保母さんに連れられた幼い子供達もはしゃいでいた。
 また、 コスモスを前景に『黄色い新幹線 ドクターイエロー』をカメラに収めたいとのことで、大阪からグループでやって来ていた。大型望遠鏡付きカメラを持ち込み、一般の新幹線車両を試し撮りしながら、アングルや連写機能などを調整し、その時を待っていた。 
 私の自慢は、コスモスを前景に上り下りの新幹線車両が、交差する直前の瞬間画像を捕らえることができたことだ。

 この時期だけの、とっておきののどかな光景が出現していた。
 
 


 
 コスモスまちづくり委員会が中心になって、 地元自治会が21年前に、麦の収穫を終えた休耕田を利用し、10月下旬まで3ヘクタールにコスモスを育てるようになったようだ。 仮に、100メートル長さとすると幅は300メートル土地の面積だから、結構広い。
 そこに200万本。確か、加藤登紀子が1987年にヒットさせた曲として知られる「百万本のバラ」と謳ったこの数に驚いたことがあったが、その倍である。これだけの本数が一挙に咲き誇っている様は圧巻である。
 
  滋賀県最大級のコスモス畑が、いよいよ見頃を迎えようとしていた。






 余談だが、コスモスが満開になる時期が秋で、花弁の形が桜に似ているところからコスモスの和名は「秋桜」と書く。
「あきざくら」または「しゅうおう」と読むのであろう。

 今では「秋桜」を何の疑問もなく「コスモス」と読む人が多い。
1977(昭和52)年、山口百恵の歌詞の「秋桜」でを「コスモス」と読ませた当て字だが・・・・・。

〒523-0002 滋賀県近江八幡市野田町 県道 26 号線 野田町草の根広場





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