湖北の近江今津の冬景色

nonio

2016年05月26日 11:08

 
  今年の真冬、湖北の近江今津に出向いた。既に5月末になると言うのに、湖を渡ってくる藻の匂い、水辺に、繰り返し寄せてくるさざなみの音など自然の囁きが、消えていなかった。そんなことから、この地を文字で紡いでおくことにした。

 滋賀に住んで長年になるが、湖西線を乗車することがあっても、湖北の近江今津駅までいくことが少なかった。たまに、滋賀県湖西地域の幹線道路である国道161号線を通っても、今津の街を大きく避けるように道路がつけられている。余り縁のないところであった。
 
 4年前、春を告げるザゼンソウが、咲くころ、ここに出向いたことがあった。晴天の空だと言うのに雪が降り、底冷えしていた。このことが妙に後々引っかかっていた。近江今津~塩津間のラッセル車の試運転がされたとのニュースを聞くと、なおさら、ここは、雪深いところであるとの思いがあった。でも、そんな、真冬に訪れたいと・・・・。

 JR近江今津駅の高架を降り立つと、意外にも道路の雪はとけていた。が、冬季に竹生島へ渡る人もなく船乗り場の桟橋には、雪が積もり、街中はがらりとしていた。ここで誕生した琵琶湖周航の歌が、朝早くから景気づけに聞こえてきた、なお寂しい。

竹生島行きの船乗り場の桟橋
 
 琵琶湖に沿った”浜通り”を歩んでいった。竹生島行の船が行き交うと、観光客で賑わうのであろう、今も現役の旅籠「丁子屋」をはじめ、湖漁の老舗魚屋・ 喫茶などが並んでいた。街並みの規模は、僅かだが、北国のしっとりとした風情があった。

 滋賀県には、大津・草津さらに今津・海津・塩津の湖北三津と、「津」の文字がつく地名が多い。津とは、河岸の船着き場があり、物資が集散し,集落が形成された事を示す言葉である。ここ近江今津も、天然の良港として大変栄えていた。しかし、北前船の西廻り航路が開拓されると小浜への陸揚げは激減し、今津を始め湖北の港町はことごとく衰退していった。

 家と家との間から琵琶湖がのぞきみられた。辻子を通って、寄せ返す波音がする周遊自然歩道の「近江湖うみの辺べのみち」に出た。湖畔から大海原が広がり、非常にのびやかな気分にさせてくれ、何とも心地よい・・・・・。この道は、琵琶湖の優れた景勝地や沿岸の観光地、文化財など湖岸緑地を結びながら、古くからある集落をつないだものである。この道を辿って北上した。

 近江今津から菅浦辺りの雪を被った山々は見られたが、対岸の長浜まで遠く見通せなかった。琵琶湖の最大の幅は、長浜市下阪浜町と 高島市新旭町饗庭との間22.80kmもある。琵琶湖は、昔、余にも大きい湖なので、「淡海の海」「鳰(にほ)の海」と呼ばれていた。ここに立てば、誰もが「海」と言う言葉を使うだろう。また、琵琶湖は別名「さざなみ」とも呼ばれていた。まさに打ち寄せる波の音を聴いていると、そう言いたくなる。

 今季、冬の使者コハクチョウが琵琶湖岸に飛来する数が、激減していると伝えられていた。渡ってきているが、暖冬で南下してくる個体が減ったようである。ここでも、全く見られなかった。 

 遠くを眺めながら、湖面に目を凝らすと滋賀県の県鳥である「かいつぶり」が、頭から「くるっと」潜っていた。何回も繰り返していた。
鮎の稚魚で「氷魚」と書いて(ひうお)と呼ぶそうだが、湖国の春をよぶ「氷魚」が動き始めたのであろう。

 私はできるだけ、大自然に身を置くようにしている。 際立った山野の風景があるわけでもなく、どこまでも実に平凡な姿である自然の中に自分を溶け込ませ、穏やかな様相を感じ取っているのが好きである。自然界はもともと言葉のない世界。だから、私の五感が色んなことを教えてくれ、何より心豊かなになる。

遠くに菅浦などの山々を望む



 石田川を渡ると『白砂青松百選』に選定されている素晴らしい松並木に出会う。が、今回は、引返した。
琵琶湖岸には2千本を超える黒松が約8kmにわたって、ゆるやかな曲線を描きながら砂浜が続いている。その内、散策しようと思っている。









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