余呉駅から北に40分ほど歩いたところに全長寺がある。
「全長寺」としてインターネットで検索すると、「余呉町 全長寺・滋賀県 全長寺・ 宮崎全長寺・余呉 全長寺・全長寺 あじさい」の関連検索ワードが出てきた。 この名前のお寺は滋賀県で知られていることが分かった。そして「あじさい」の言葉もヒットした。
住職の平家芳雄老師が、25年前あじさいを植え付けたのが始まりである。コツコツと増やされ、いつの間にか、大勢の観光客が足を運ぶようになり、あじさいのお寺として知られるようになったようである。
このお寺のもうひとつ、だるま寺としても知られる。
忿怒の相の馬頭観音菩薩像・釈迦三尊・十六羅漢などを拝観後、心経竹の掛け軸の前を通り、一番奥の部屋へと案内された。
この部屋に入った時、一瞬たじろいでしまうほどのド迫力の達磨大画像と対面した。150年前に中国から伝わった「 だるま絵」の大掛軸がこの寺に保管されていた。
「だるまさん、だるまさん、にらめっこしましょ」「だるまさんがころんだ」と子供のころ、だるまさんとは慣れ親しんだイメージがあるが、本来の「だるまさん」とは、禅宗を開祖された達磨大師のことである。「面壁九年」と言う言葉が、言い伝えられている。壁に向かって9年坐禅を続け、壁のように動ぜぬ境地に至り、真理を観ずることを会得された高僧なのである。あまりにも長時間の座禅により、手足が不自由になったとされる。
だから、達磨大師の八方にらみの目は、人の本性を見抜き、突き刺すように迫ってくるように描かれている。写真では迫力がそれ程感じられないかもしれないが、一度、ここに座り、直視すると恐ろしいほどの”気”が感じ取れる。実際、ここに長らく通い、達磨大画像と対峙した人がおられたと、住職の奥さんが話されていた。
短時間であったが、達磨大画像と対峙していると、その目がいろんなことを問いかけてくる。いつの間にか、自己との対峙となるのであろう。「自分は何だろう。その存在の意味は。自分を自分たらしめているものはなんなのだろう」と、自分の内面へと向かってくることに気づく。
ここに訪れ、達磨大画像を目にするだけの価値があった。
超弩級の達磨大師