観音の里・山本山から賤ヶ岳縦走

nonio

2012年11月14日 11:41

 今年8月、山本山周辺に点在する観音さんに出会いにいった。湖北には集落の数に匹敵するほど多くの観音さまがおられ、「観音の里」と呼ばれているところだ。JR高月駅から山本山周辺の山ろくに点在する集落を朝から暗くなるまで、「うねうね」とめぐった。 山本山は、奥琵琶湖の賤ヶ岳(しずがだけ)から南に延びる細い丘陵の先端にあり、別名湖北富士とも呼ばれている。
山本山→クイックすると地図

 訪れた日は、渡岸寺の十一観音をはじめ近在するする観音さんが一斉にご開帳された。 強い陽射し受けて、湖北の湖畔に広がる水田帯を進んだ。緑に覆われた丘陵地帯を回り込むようにして、各集落を訪れた。宇根・西阿閉・片山、さらに片山トンネルを越えて西野・松尾・重則・東柳野・最後に渡岸寺。 
真夏の炎天を歩くのは大変。ひんやりした片山トンネルは大いに助かった。

 各集落では各村人が「おらが観音様」として大事に世話をされてきた。平安時代につくられた像も多く、戦国の乱世では、村人によって埋めるなどして守りぬかれたものである。
野菜や果物を供えてあるだけで、飾り物ものもない質素なものである。だから、ここにいらっしゃる十一観音など仏像は、てらいも打算もない無垢な魅力があった。

 一つ一つの観音さまは、異なった表情と姿態をされていたので、見飽きなかった。これだけ沢山の素朴な仏さんを見て回ると、私は、宗教とか信仰とはまったく無縁な人間であるが、少しずつ接する態度も変わってくるものだ。
 はじめでは、観音さんの前に立つと、一生懸命に観音さんに拝礼している仲間の姿に、見習って単に手を合わしていたが、次第に自ら手を合わしている自分がいた。よくわからないが、信仰以外の価値のあるものに触れたのかもしれない。

 ただいえることは、近江にある十一観音について興味を持ってしまったことは事実である。そして、今年一押しの充実した一日になった。
 なお付け加えると、この観音さんは井上靖の小説「星と祭」、白州正子の「かくれ里」で紹介され、全国的に知られるようになった。今回も遠く東北から来られた人もおられ、大勢の仏像愛好者が集まってきたようだ。
夏雲の主役は積層
 
 再び、ここを訪れた。今回は、山本山から賤ヶ岳へ約7kmの丘陵帯のハイキングである。豪雪地である厳冬期に来るための下準備でもあった。

 河毛駅からコミュニティバスに乗り込んだ。もっぱら、運転手は南端の山本山に生息するオオタカの話で持ちきりになった。まだ飛来していないが、もう少し寒くなると「オオタカ」を撮影に来ている人で一杯になるらしい。一日一回飛び立つか、飛び立たない日もあるらしいが、その一瞬を狙ってシャッターをきるために、寒い中頑張っている人々がいるようである。
 高島にもオオタカがおり、時折、そこまでランデブーに行くようだと話してくれた。話が盛り上がっているうちに登山口に着いた。

 正規の登山口は、朝日神社であるが、琵琶湖寄りの宇賀神社から出発していった。

 出足は、踏み跡も少なく倒木などで、歩きにくかったが、途中から整備された山道になった。山上まで約30分で山頂に着いた。結構広い台地には、本丸・二の丸の跡や土塁跡がみられた。これらは、浅井氏の小谷城の支城として築かれたものである。さらに遡って山本義経が平安末期に城を築いたともいわれている。

 一休みして「湖の辺の道」の縦走路に入った。右手に琵琶湖、左手に湖北の平野を展望しながら300~400mの山が連なっている縦走路を辿った。苦にならない、緩やかな上りや下りを繰り返した。

 南北に長い山並みだけに峠に出会った。熊野越、西野峠、古保利越、山梨子越など。そのひとつに熊野越があった。現在ではトンネルにとって代わっていたが、昭和37年まで片山集落の児童達が東の古保利小学校へ通学するのに越えていたという。 
 西野越は縦走路の中で最も標高が低いところ。ここには、江戸時代末期、余呉川の氾濫水を琵琶湖に流し込むため、山を掘り貫き排水トンネル「西野水道」が造られている。ノミと金槌だけで掘り抜いた史上に残る217mの排水路である。
 足を進めていくと、古保利古墳群と書かれた表示板が数枚も立っていた。これらは、琵琶湖の湖上交通を掌握していた豪族の墓と考えられている。全国でも屈指の古墳群として注目されているものらしい。

 この縦走路は、歴史上のいろんな出来事が詰まっているところであった。

 計画では丸山まで行く予定であったが、出発が9時であったので、磯野山城跡の表示板があるところで、12時超えてしまい昼食とした。
 
 昼食後、眺望のない丸山(360m)から下っていくと、左手の樹間から奥琵琶湖の入り江が見えた。この自然の素晴らしい贈り物に暫し足を止めた。芝木好子の小説の一節に奥琵琶湖を表現されている言葉がある。「奥琵琶湖の秘した湖は、一枚の鏡のように冷たく澄んでいる。紺青(こんじょう)というには青く、瑠璃色というには濃く冴えて、群青とよぶのだろうか」。正しく、湖面は群青であった。

 送電線下を通過したあと、いよいよ最後の賤ヶ岳への登りとなった。見た目より簡単にリフト終点にいけた。 振り返ると今日辿ってきた山並みが一望出来た。ちょうど真ん中に鎮座しているのが山本山である。こうして眺めてみると遠いところから歩いてきたものだと少し満足できた。

  
 この辺りまで遣ってくると、リフトもあるのでかなりの人々に出会った。観光客に混じって賤ヶ岳の頂上まで行き余呉湖、奥琵琶湖を眺めた。ここ賤ヶ岳は羽柴秀吉と柴田勝家が天下分け目の決戦が行われたところである。団体の案内役の人が、懸命にこの話の説明をされていたが、みなさんうわの空で素晴らしい風景に見とれていた。いつ行っても見飽きない風景であった。前日まで天気はそれほどよくなかったが、特にこの日は晴天で遠くまで見通せた。北に余呉湖、行市山遠くに横山。南には伊吹や霊仙。南西には比良山を堪能した。
 
 鈴鹿山系や伊吹山の素晴らしい景観には名残惜しかったが、リフト乗車口の左側からジグザクの道を大音へと下山していった。









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