由布岳で「光速より速いニュートリノ」ニュース

nonio

2011年10月03日 09:05

 九州には魅惑的な山がある。滋賀県からハイキング気取りで訪れるには、ちょっと遠いが、9月23~25日由布岳を目指し、大阪港から船旅に出かけた。

 数年前、ミヤマキリシマを見るため九重山群の山旅に出向いたことがあった。別府港からバスに乗り込み、九州横断道路(やまなみハイウェー)の山岳地帯を通過した際、突如、見上げるような山塊が眼に飛び込んできた。天空を突き刺すかのような迫力のある山容で、その裾野は、どこまでも長く引いていた。この山を取り巻くように黄緑色の草山が、やわらかい曲線を描いていた。
 仲間に山名を教えてもらった。由布岳であった。小生、どうも無粋で、有名な温泉地「由布院」の地名を知っていただけで、この時初めて訪れた。
 
 今回、この場に立って、以前車窓から眺め心に焼き付けていた山容と寸分変わらない姿を目の前にして、再会の喜びを感じ入った。

                   由布岳登山口 駐車場から


 由布岳はその名の通り由布院盆地の北に位置し、遠くからでも見える独立峰である。裾野を長く引いた山容から別名、豊後(ぶんご)富士と呼ばれている秀峰。
緑をまとった飯盛城(1067m)の後に鋭い双耳峰が見える。東峰と西峰2つのピークからなり、標高は1,583m(西峰)。下山後、場所を変えて、見飽きる事がない眺望を楽しんだ。

                東峰と西峰2つのピークが見えるところ

 
 由布岳を正面に見ながら牧草地の中を進んだ。左手に飯盛城を見ながら樹林帯を進むと合野越えに着いた。左側の飯盛城を見遣りながらツヅラ折の道を進んだ、振り向くと下方に由布院の盆地が望まれた。再び、潅木帯の道になり、急坂を登りきると「マタエ分岐」に登り詰めた。東峰と西峰の鞍部になっているここから一休みして、まず、西峰をピストンし、東峰頂上を踏んだ。

               西峰・東峰の「マタエ分岐」


 西峰は、東峰に較べて僅か高いようで、一等三角点もあり、標高1583.3m。ただ、「障子戸」と呼ばれる難所があった。僅かな足場を探しあてながら、垂直に降りるのではなく、カニのヨコバエ的に絶壁を渡りきらなければならない。この写真は、山の経験も少ない名も知らない若者であった。自ら勇気を奮い立たして果敢に挑戦している写真である。後日、彼の雄姿の写真を約束通りEメールで送付したもので、無論、ブログに掲載することも了承。

                 「障子戸」と呼ばれる難所


 
 下山して、関西汽船フェリーさんふらあに乗り込み、帰途についた。「ほっと」していると、隣の人が新聞をむさぼる様に読んでいた。覗き込むと「光より速いニュートリノ」との見出しがあり、ニュートリノが光速よりも60ナノ秒(60秒の10億分の1)早く到着した。

 「それがどうしたの」と言われるかも知れないが、光速より速いニュートリノの出現は、時間の概念すら変更しなければならいものである。 1905年に発表されたアルベルト・アインシュタインの創始した相対性理論は、ものが速く動くほど時間の進み方は遅くなり、光速ではゼロ。さらに光速を超えると時間の進み方は逆になり、過去に踏み込むことになる。アインシュタインはこのようなことが起こらないとして「光速を超えるものがない」とした。
 だが、この測定結果が正しかったら、ニュートリノは時間をさかのぼり、過去へのタイムトラベルも現実味を帯びてくる。

 人類史上はじめて、光速を測ったのはガリレオ・ガリレイである。それまでは、光速は無限大であると考えられていたのだが彼は測定をした。遠く離れた二カ所に置いたランプの合図を用いて光速度を測定する方法を提案した。この方法では光速があまりに速い為に有意な結果を得られなかった。その後、光速の測定にはじめて成功したのは数学者レーマーであった。木星の衛星が木星の影に入ったり出たり周期が変化することに目を着けた。これを計算し、20万km/秒とした。桁があっているという、当時驚くべきもであった。その後、フィゾー・フーコー・マイケルソンなどによって 光速の測定を続けた。
現在、真空中における光速の値は、 299 792 458 m/s(≒30万キロメートル毎秒)である。地球を7回半回る速さとも表現されている。

 こういう歴史の積み重ねの上、光速が重要な役割を演じる相対性理論が出現した。20世紀に物理学が発展する土台となった理論である。 この光速度不変を前提にして相対性理論が組み立てられた。一昔は、時間や空間は予め神によって与えられたもので、形而上学や哲学のテーマであった。一般相対性理論が提唱された現代では、全宇宙の時空の構造や今後の宇宙の姿についても語れるようになった。

 ところで、このようなことを家に帰って興奮気味に家内に話したところ「あーそう」で終わってしまった。
 確かに、光速を超えるものがあろうがなかろうが、宇宙の成り立ちには何ら変わりがしない。が、宇宙の中に存在している宇宙の落し子、人間が、この宇宙の構造を数式で持って理解しょうとしている。むしろ、宇宙の時空の成り立ちを、人間に理解してもらおうと人類に託しているのかもしれない。





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