余呉トレイル柳ケ瀬山・椿坂峠
日付 2011年6月19日(日)
山名 柳ケ瀬山・椿坂峠
コースタイム 柳ヶ瀬 9:00 玄蕃尾(げんばお)城跡 10:00
P559.3m 13:00 椿坂峠 14:50
昨年、滋賀県レイカディア大学で「水源の森の自然・・」について檀上俊雄氏の講義を6回受けた。このとき、「中央分水嶺・余呉トレイル」が、山道、古道を利用して整備され始められたことを知った。今回目指す柳ケ瀬山・椿坂峠は、「余呉トレイル」として切り開かれたルートで、高時川、余呉川沿いの国道365に平行した分水嶺である。
今回の山行は2台の自動車で、出発点である柳ヶ瀬にやって来た。もう1台の自動車を下山場所である椿坂峠にデポする間、若干時間があった。
柳ケ瀬集落の北の端あたりにたむろしていると、地元の人懐こい古老が話しかけてきた。
写真の石碑を指差しながら、「右えちぜん かがのと道 左つるが 三国ふなのりば」と書かれていと説明してくれた。更に「これは明治16年1月に建てられた」と付け加えられた。
この道標は、北国街道(栃の木越え)と若狭街道(刀根越え)の分岐点を示すもであった。ここ柳ケ瀬は昔、関所が設置されていたところである。集落の家屋が立ち並ぶ光景からして、街道沿いの宿場の雰囲気がした。
その内、4~5人の村人が集まり、羽柴秀吉と柴田勝家との戦いの話から始まり、日本に鉄道が走り始めてから3番目に作られた路線がここを通ったこと、明治15年に敦賀~長浜間の開通した話、更に、これから我々が目指す倉坂峠・玄蕃尾城・椿坂峠までの山道は地元の人でも行った事がない・・・・など話が盛り上がってしまった。仲間が手持ちぶさたに待っていたので、どこで話を切り上げるか一苦労。
兎に角、玄蕃尾城を目指して出発していった。昔につくられた道であって、苦もなく倉坂峠に導かれていった。玄蕃尾城一帯の草が刈り込まれよく、手入れが行き届いていた。虎口郭(こぐちくるわ)を通り過ぎると、獣道を少し踏み込まれただけの山道になった。正しく、余呉トレイルのスタート地点。
尾根筋は400~600m台の連なりで、目だったピークもないので、取り敢えずの目印として鉄塔を目指した。
国道と北陸トンネル上を通過するあたりから、尾根筋の幅が広まり、分り難くなってきた。当然正規の道をはずれてしまい、雑木林を通りぬけ、倒木をかいくぐって行くことになった。誰も文句を言うこともなく、ありのままの自然の懐にいだかれていった。自然はあまり整備されないほうがよいのかもしれない。
そうこうしている内に、待望の鉄塔を見つけ一休みした。更に尾根筋を辿っていくと眼下に国道365沿いの椿坂の在所が見え隠れしていた。ルートから少し下ったところに、巨樹があるとの表示板があったので見に行ったが、それほどでもなかったので直ぐに引返した。
それにしても、樹木がいたるところで、裂け傷を負い、痛々しい姿を曝していた。このあたりは豪雪地帯でもあり、雪の重さに耐えかねて破損したものだ。今年の積雪量は、尋常でなかったことを小生、身を持って体験してきた。樹木を覆い隠すほど纏わりついた雪は、被害を一層大きくしたのであろう。
こうして、山奥深く垢がついていない静かな山域に踏み込んでいくと、森林の生き生きとした営みに触れる事ができ望外の出合であった。
559.3mを難無く通過して、椿井嶺にやって来た。この辺りには朽ちかけた別荘があり、このために造られた舗装道がやたらと付けられていた。薮に覆われた路面はあれ放題である。全く迷惑な道だ。とりあえず、P623mを踏みしめて、国道365号の椿坂へ下山し、今回の終わりにした。尚、椿坂の名前はユキツバキの自生最南端に由来するらしい。
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