一等三角点の呉枯ノ峰と巨木の菅山寺

nonio

2010年04月17日 06:15

  4月10日(土)、S主催で一風変わった山名の山行き計画があったので、参加しょうと思った。呉枯ノ峰と書いて「くれかれのみね」と読む。「近江百山」ナカニシ出版にもこの山が取り上げられ、赤川奥の「暮子谷」から山名がつけられたようだ。いずれにしても、読みにくい。

 この山は北国街道を木之本町・坂口といった町を通り余呉湖へと向かっていくと、右側に見える山並みである。西側にある賤ガ岳はよく知られ多くのヒトが訪れるが、ここは余り知られていない。むしろ、一等三角点の山として訪れる登山者がいる。

 木ノ本駅より浄心寺横を抜けて、伊香高校裏の水道タンクから呉枯ノ峰を目指した。山道の脇にP393mの地点に四等三角点を見遣って、呉枯ノ峰531.9mに辿り着いた。ここには、一辺18cmの立派な一等三角点があった。

 通常、三角点などが設置されているところは、測量するため見晴らしの良い場所に設置されているのだが、呉枯ノ峰は、雑林で展望はほとんどない。その上、貧相なビニール板に山名を走り書きされていた。「残念であった」とむげに言ってはならないかもしれない。
地図上には呉枯ノ峰の地名がないので放置されていたので、誰かが、親切心から取り付けたかもしれない。

 明治時代、地図を作成するための基準が必要となり三角点が設置されたものである。ところが、現在、GPSの発達により、電子三角点に取って代わり常時監視されている。花崗岩の柱石は、愛好者の対象物となった様だ。
 だが、柱石の破壊など機能を損ねる行為をする者は、測量法の規定により2年以下の懲役又は100万円以下の罰金に処せられる。この法規が生きているので注意が必要だ。まだ、何らかに、活用されているのであろうか…。

 くどい様だが、滋賀県の一等三角点は11点ある。呉枯ノ峰がその内のひとつに数えられる”ずっしり”としたものだ。 

 北西に進み菅山寺分岐にやってきた。琵琶湖側の山本山~賤ケ岳の山並みが一望できた。
一方、山手側には、木立の間から己高山・横山岳を探したが、それらしき山は分かったが、位置まで特定できなかった。









 菅山寺山門前の樹齢1000年のケヤキの大木は見事なものだ。滋賀県の天然記念物に指定されていた。その昔、菅原道真が幼少の頃に植えた、との言い伝えがある。表示板には、「伝承1000年余」と記してある。つまり、人づてに伝わってきた年数のことで、正確には樹齢はわからない。

 だが、眼前にある樹木は長年風雪に耐え生延びて来た証しとして樹皮がはげ落ち、残った部分にはコブもでき苔がむしていた。この姿からしてかなり長生きしてきた老木であり、風格があった。

 この樹木はかなりのお年寄りなので、余り長く触れてエネルギーを貰ってはいけないので、わずか触り、いくばくかのエネルギーをもらった。
 人間の命よりはるかに超越した時間を生き続けた生命力には、自然とおそれうやまってしまう。ケヤキの語源「けやけき」といわれるのは「きわだった」と言う意味合いから言われているが、この言葉がぴったりだ。

 往時3寺49坊からなる大寺院がここにあった。この辺りの地形は、すり鉢状になっており、保水性のあるブナ林に覆われていた。この自然の息づかいから、多くの僧侶が山中で暮らしていたのであろうと思えた。

 この周辺はヒトも入っていないので、数々の山野草を見かけた。この中で、仲間Tさんは、「ソメヨシノが、既に花を沢山付けている。『キンキマメザクラ』に注目しなさい」との指摘があった。この花は名前のとおり花も葉も小さい豆桜として、知られている。このうち、キンキマメザクラは、富山県・石川県・福井県・長野県南部・岐阜県および近畿・中国地方に分布するらしい。

 目を凝らして、探していると雑木林のこずえの間から、小柄で細い枝にキンキマメザクラが咲き始めているのを確認した。予想以上に、ひとつひとつの花びらが小さかったのが、特に印象的に残った。

 昼食後、一休みして分岐まで登り返して、山麓の坂口集落に下山していった。参道の入口に当たる朱色の鳥居にやってきた。ここから、今下山してきた山々を眺めながら、国道365号を辿ってJR余呉湖駅に向かった。

 満々と水をたたえた余呉湖の岸辺にソメヨシノが、この時とばかりに花を咲かしていた。
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