湖南アルプスの堂山/今なお土砂崩れ

nonio

2015年03月04日 08:40

 大津の南部に位置する低山一帯は、田上山と呼ばれていた。が、何時しか湖南アルプスと言われるようになった。アルプスのような雰囲気があったからだ。奇岩・奇勝に富み、花崗岩の独特の景観に魅せられ、多くのハイカーが集まってくる山である。
 湖南アルプスといえば、太神山であり、矢筈ヶ岳・笹間ヶ岳と思われている。実際、数々の登山手引書にもここを紹介されてきた。でも、同じ山域にある堂山(標高384m)については、不思議なぐらい触れられていない。 多少危険も伴うが、スリル満点の岩稜歩き・渡渉と初歩の登山を満喫させてくれるルートがあり、何回も登ってみたい山であった。たまたま、YASUほほえみクラブが、この山に出掛けることを野洲市広報で知った。

日付 : 2月9日(月)
山名 : 堂山
コース: アルプス登山口9:20~迎不動10:00 ~ 鎧ダム10:45~
      堂山東峰/堂山西峰(12:15~12:40)~天神川渓谷~天神川出合14:00  
      アルプス登山口14:20
 
 参加者が何分32名の大所帯。中には登山の初級者も来られており、この人たちの手助けにリーダー達は大わらわだ。その結果、標準コースタイム2時間30分に対して、昼食を含めて5時間になったが、渡渉、岩場、ザレ場など変化に富んだ楽しい一日となった。
 
 JR石山駅からアルプス登山口まで帝産バスで。準備体操・コース説明後、天神川に沿ってゆっくり昇りになった車道を辿って行った。右手に掃除が行き届いた祠で、一休みとなった。優しいお地蔵さんと思って、覗いてみると、刀を右手に掲げ忿怒の相を表しているお不動さん。「出迎不動明王」の言葉を短縮したのであろう、「迎不動」との愛称で呼ばれていた。

              迎不動の愛称で知られる「お不動さん」


 迎不動から河原に下り対岸に渡って本格的な登山路となった。この若女谷(じゃくじょだに)を入って間もなく、迎不動堰堤、上流に、続いて鎧堰堤があった。この谷筋は、今から遡ること1300年ほど前を発端として、今なお大量の土砂の流出に人々を悩ましてきたところだ。
 
 誰も想像ができないかもしれないが、かつて、田上山地帯は、鬱蒼とした緑豊かな森林におおわれた杣山であった。

 奈良・平安時代の都の造営や寺院の建立のたびに、木材を切だし、また、製鉄用薪炭材の伐採や農地の肥料として木を伐り、この一帯ははげ山と化した。 一旦、緑を失うと雨で土砂が流失。もともと花崗岩という再生力の弱い地質も手伝って、田上山一帯は江戸時代の後期に、すでに禿山になったと、言われている。 大雨のたびに多量の土砂が大戸川・信楽川・瀬田川といった周辺河川に流出して、被害を及ぼしてきた。

 江戸時代、「木根掘取禁止及び土砂留苗木植込方」など山林の保護が目的の厳しい取り締まりも行われた。明治以降になると国の直轄事業として植林・砂防工事が実施され、現在の平成まで至っている。しかし、現在、昔どおりの森林帯に戻っていない。

 迎不動堰堤は、上流の鎧堰堤(砂防に貢献したオランダ人技師:ヨハネス・デ・レーケを記念)の形を模した堰堤である。平成12年と表示されていることからしてまだ真新しい。更に、上流の鎧堰堤は、田辺義三郎が設計し、ヨハネス・デ・レーケの指導によるもので、明治22年(1889)に出来上がったものである。 鎧堰堤がつられた当時、満々と水を湛える阿弥陀池とよんでいたらしい。だが、今では土砂が池に流れ込み、阿弥陀河原になっている。

 人間の限りない罪深い欲望が、自然界のリズムを狂わしてしまった。乱伐で次の世代を育むための腐葉土を含んだ表土をなくし、樹木の自然更新がなくなり、所謂、森が私たちの暮らしにいろいろな恩恵を与えてくれていた「水源かん養機能」が無くなってしまった。
 いまだに、草木が生えていない山肌を見ながら、 人工的な砂防工事などの姑息的な対症療法でなく、本来自然界が持っている治癒力を発揮させる方法はないものかと考えさせられた。

          2003年に完成した迎不動堰堤

      オランダ人技師:ヨハネス・デ・レーケが指導した鎧堰堤
      
     鎧堰堤に土砂で堆積した阿弥陀河原   

      今だに修復されていない地肌が見える山腹


 気を取り戻して、阿弥陀河原の上流に向かった。左手に堂山への道標があり、細い沢沿いに進むと、目指す堂山の山並みの姿が見えてきた。
これから岩場に入るので、リーダーがフイックスロープもあるがあまり 頼らないこと、3点確保のことなどの注意を出した。
 堂山は3つの峰が連なっていた。最後の西北端の峰には、一旦大きく下って登り返すと大岩のピークに立った。展望のすばらしい所で昼食となった。
                3峰の堂山
 





 
 下山は西尾根を天神川の方向に下り出し、眼下に見える砂防堤を目指した。渓谷沿いの山道は濡れた露岩とザレた砂で足を滑らして転ぶ人が続出。苦戦気味の末、天神川の右岸についた。 このコースを振り返ってみると、かなり渡渉があった。初めは一つ目二つ目と勘定。余りにも多いので勘定を止めてしまった。最後に天神川の対岸に渡るが一苦労となった。迂回しながら渡渉石が並べてある処を探し出した。32名の大所帯が渡りきるのに、かなりの手間と時間がかかった。梅雨時期であったり、豪雨が降った時は注意を要するコースである。

                天神川渡渉の難所


 バスの時間はアルプス登山口から石山まで1時間に一本しかない。先頭がバスに乗り込むため、走ったが間に合わなかった、そのため、寒い中1時間の待ちとなった。
                    堂山の辿ったコース



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