綿向山の樹氷不発

nonio

2014年04月03日 11:37

 3月16日(日)、鈴鹿山系の中でも最も近江平野に張り出している綿向山に4人で樹氷を見に行くことになった。
山仲間と「どこかの山に行こう」、と話し合っていた時、「樹氷を見たい」との一言で、”綿向”に決まった。我々仲間内では”綿向山を綿向”で通じている。気軽に冬山を満喫できる山である。
ブログに取り上げただけでも、この数年間で2010年02月24日 綿向山の霧氷の世界 2013年02月26日 冬山登山の登竜門綿向山などがある。兎に角、滋賀県野洲市から日野町まで30km程度で行けるので、度々訪れている。

 早朝8時であったが、登山口の御幸橋駐車場には多くの人が詰めかけていた。既に行動を開始しょうとしているグループは、「神戸から来るのに時間がかかるので、ここで前泊テントをした」、と言っていた。また、我々が頂上から下山し、7合目の行者コバで遅い昼食を摂っていたところ、大阪から来た若いメンバーが近寄ってきた。ここは初めてと言いながら、「我々と一緒にここで昼食をしたい」、と話しかけてきた。
「ここから最後の急登が始まるので、ここで、腹一杯になると登りが辛いので、頂上で食べたら」、とアドバイスした。

 前爪のある12本爪の本格的なアイゼンを装着して、我々の意見に従って登って行った。ところで、私はアイゼンなしであった。いずれにしても、ここは美しい樹氷で知れ渡り、県外から樹氷登山のツアーバスが来るぐらい人気のある山になった。

 ヒミズ谷小屋から、いきなりジグザグが始まった。ほとんど雪もなく植林下の薄暗い道が続いた。1時間ほどで林道と交わる3合目に着き、さらに40分ほどで赤い屋根の山小屋が建つ5合目までやってきた。
 この登りで毎回思うことなのだが、法面の厳しいつづら折りを登っていくと、突然思いもよらないところに、一合目の標識が現われる。更に厳しい登りが続き、標識を忘れた頃に、三合目の標識。この標識を頼りに登っていくと頂上までどれだけ時間がかかるのか不安になってくるものだ。ところが、5合目以降の標識は次から次へと現われてくる。 どうも、距離を10等分にしたものでもなく、身体の負荷がかかる標高で決めているように思えるのだが? よくわからない。だから、何合目、何合目の標識をあてにしないで、登るように務めている。

 樹氷が現われるのは、七合目(930メートル)の「行者コバ」と呼ばれている所から頂上にかけてである。ここから、金明水経由の谷筋になる夏道は閉鎖され、尾根道を辿ることになる。雪崩の危険性は少なくなるが、潅木に掴まりながら、ずり落ちそうな急登になる。
 この尾根道には大木ではないブナ・ミズナラ・リョウブなどの落葉樹が育っている。これらの幹・枝に樹氷の華が咲くのだが、予想に反して、むき出しの累々とした裸木の光景が広がっていた。特にリョウブの樹氷は、「サルスベリ」とも呼ばれており、なめらかな木肌をしているので、風などで直ぐに落下してしまうのであろうか、斜面には、枝に似た円筒形の抜け殻状の樹氷が、重なり合うようにして散乱していた。全くの期待はずれであった。

七合目(930メートル)の「行者コバ」以降の急勾配の冬道



 頂上近くになって、申し訳なさそうに、ノコギリ状になった樹氷が幹にへばりついていた。時折、「ばらばら」と音を立てて降り注いできた。
 
 標高1110mの綿向山は鈴鹿山系の主稜線から離れているが、鈴鹿の山々を眺めることが出来る。この日の頂上は比較的風も穏やかなので、若者のグループ・若いカップル・年老いた夫婦、そして意外に多いのが年配の女性の一人など様々な人達が留まっていた。 誰もが、目にするものは圧倒的な存在感のある雨乞岳。冬季の色彩を失った、この荒涼とした光景を眺めていると、この大自然の中で、生きていることの尊さを感知できるものだ。感動が生まれると同時に謙虚な気持ちにもなる。そして、色んな想いが去来してくるものだ。
 われわれも、寒さを感じるまで、ここにたたずみ、下山していった。

 ところで、立派な樹氷を目にしたのは、2010年目だけで、何回も不発だ。そして今回もダメであった。
数日の寿命しかない山野草の花に出合うこともしかり、自然を相手にしていると人の想い通りにならないようだ。 自然との立ち位置とは、神秘な姿を求めて行くのでなく、望外の神秘な姿に出合うことだ。

    
 2010年見事な樹氷の回廊
   

 






 
 


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