2011年05月30日    初めての芦生の森

 過日、「芦生のバス山行を計画したところ、一人当たり1万円のガイド料がかかることから、山行を断念した」との話の中で、小生「芦生の森へいきたいなー」と呟いていた。
 早速、無類の山好きで、結構世話好きな仲間S女史が、「須後」からガイドなしで入山できる由良川沿いのトロッコ軌道を散策する計画を立案し、誘ってくれた。有難いことに自動車・運転者など何もかも手配してくれ、5名で出かけることになった。

 さて、近年までは京都大学芦生演習林へ、福井県側や滋賀県側からも入山できたが、人気の上谷・下谷へツアーなどで観光バスを乗り付け、多くの人達が殺到することになり山が荒れてきた。入山制限のため、地蔵峠から、ガイド付きパーティーのみ入林可能となった。現在では、原則として京都府南丹市美山町芦生の研究林事務所からの入山しか認められていない。

 ところで、小生、由良川源流になる三国峠、三国岳、天狗峠一帯から広がる京都大学芦生演習林「芦生の森」には、一度も踏み入ったことがない。が、中央分水嶺にあたる地蔵峠・三国峠・ナベクボ峠(クチクボ)など滋賀県側から、芦生の森の様子を眺め、ブナ、ミズナラ、アシュウスギが混生する原生の森に、何れ踏み入りたいと思っていた。

 初めて、この地名を付けたアシュウスギに出会ったのは、比良山系の武奈ガ岳へ行った際、広谷の手前であった。武奈が岳←クリック風雪を耐えしのぎ、太い枝が何本も逞しく上に伸びている巨木のさまは、強靭さと人間の寿命を遥かに越えた時の流れを持っていた。

 小生、人間が創りあげた宗教に対しては、興味も疎く、信仰心を持ち合わせていないかも知れないが、森であり、それを支えている山・渓谷など壮大な自然には、理屈なく引き付けられてきた。同時に、人知の計り知れない大自然には、畏敬の念を持って接してきた。
 特に、逞しい樹木であり古木には敬意を表したくなった。こういった木々を見詰めていると、精霊が宿っているかの様に思え、その場に身を共にすることで安らぎを覚えた。人間の存在そのものは、自然の一部だと言う当然の認識から、自然崇拝が小生の宗教感である。・・・
 
 京都大学芦生演習林の表口となる京都府南丹市芦生の須後に向かった。滋賀県野洲から、国道367号線葛川梅ノ木町から久多広河原線・京都広河原美山線と道路を乗り継いで芦生に行った。出発から1.5時間後、京都広河原美山線で広河原スキー場の入り口にある喫茶「庄兵衛」で休憩をした。ここは、まだ京都市左京区だが、茅葺きがある広河原集落。
 何気なしに、川沿い越しの土手に目をやると、ふさふさした大きな根性葉から あちこちから30 cmくらいの花茎を出し,濃い赤紫の花を車輪状につけた一群があった。この花は、クリンソウと言うらしい。

 花の名前の付け方はいい加減のもので、その花にとって迷惑な名前もある。九輪草は、花が幾段にもなった様子から五重塔や仏塔の頂上にある柱の飾り「九輪」に見立てて、クリンソウの名前がつけられた。

小林一茶は 「九輪草 四五輪草で しまひけり」 と茶化している。 一層のこと、この花は、四五段しか咲かないので、四五輪草と名づけてはどうかと思った。 この話どっちでもいいことだが、この辺りまだ京都市だが、既に一味違った森林の空気が漂っていた。
 
初めての芦生の森  

初めての芦生の森 芦生の里にある公民館の敷地にある駐車場に停め、演習林事務所に立ち寄って各自、入林許可証に必要事項を記入して出発していった。

 風情のある研究林事務所を通りぬけ、鉄橋を渡ると森が始まった。左手に由良川本流で最も川上になる井栗さん宅が見えてきた。手入れの行き届いた綺麗に耕された畑で、作業をされていた。平地の田んぼは、田植えがとっくに、終わっているのに、ここでは水だけが張られていた。まだ苗を植えつけるにはこの山間では寒いのであろう。
 少し進むとトロッコ軌道沿いに「たらの木」の群生を見かけた。かなり背が高くなっている事からして、かなり以前から春先の「たらの芽」を採取するため栽培しているのであろう。

 初めての芦生の森杉林の中に石垣が見えてくると廃村灰野である。昭和35年に廃村となった。最盛期にはこの奥深いところに八軒あり、旅人相手の宿もあった。 左手にこの村人が大事にしていたのであろう灰野神社の小さな祠が鎮座していた。祠は、かって人が住み山の暮らしを立ててきた証しでもある。左手には、トチ餅にするトチの木、さらにクルミの実をつけるオニグルミがあった。
これらの木は、山で暮らすヒトの貴重な食糧になるもので、人の手で植えつけたのであろう。

 芦生の森には、須後、井栗、灰野の集落があった。更に七瀬、赤崎、野田畑には木地師がいたところだ。今は、森林は芦生演習林により手厚く管理されているが、かっての森林は、杣人達と共生していたところである。
 
 ここ灰野は佐々里峠へ抜ける分岐でもあった。先発していった何人かは灰野谷へ向かっていったが、我々は、原生林の由良川渓谷沿いのトロッコ軌道を遡っていった。

 初めての芦生の森 春の木々は緑が淡く鮮やかで、森林が最も生き生きとする季節を迎えていた。左手の視界が広がり対岸の展望を楽しみながら進んでいくと、川原から 「フィー、フィー」という口笛のような澄んだ鳴き声が聞えてきた。その姿を目にできなかったが、これはカジカガエル (河鹿蛙) が清流の石の上で、メスを呼んでいる恋の歌なのだ。ここは正しく清流が流れるところであった。

 赤崎西谷出合付近で、軌道橋が朽ち落ちレールが宙に浮いていた。この軌道は昭和初期に木材搬出用として七瀬まで敷設されたものである。痛みも酷くなってきていた。赤崎東谷・ここから赤崎中尾根を登ると、立派な芦生杉が見られるとろだ。トロッコ軌道の急激に立ち上がっている急斜面にどっかりと根を下した芦生杉が見られた。

初めての芦生の森 須後から約1時間半、小よもぎ小屋についた。この周辺には、あまり木の名前が知らないが、マキノ町の並木にあるメタセコイヤであり、幹を束ねた独特に姿をしているカツラの木は分った。

 軌道を塞ぐような大岩を越えて、フタゴ谷を向かいに見て、進んだが、カズラ小屋のてまえで、引き返した。我々は、芦生須後~廃村灰野~カズラ谷出合~七瀬まで7. 6kmを往復する予定であったが、下見でもあり、カズラ谷出合手前の渡し橋が傾いた無理せず、ここで引き返した。

初めての芦生の森 早目の下山になったので、自動車の帰路時、標高735mの佐々里峠に寄ってみた。京都府南丹市美山町佐々里と京都市左京区広河原尾花町の境界に位置するところ。ここは、研究林内に入れるポイントのひとつになっているようだ。
 この峠には地蔵さんを祀った石室があり、数台の駐車スペースには、ツワーと思われる小型観光バスが駐車しており運転手が暇そうに待機していた。ここから灰野・須後へと通じている。

 佐々里峠の近くにある立派な「アシュウ杉」が見られると須後の地元の人に教えてもらったので、探してみると道路沿いにその巨体があった。

  
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Posted by nonio at 17:19 │Comments( 0 ) 近隣の山
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