2015年04月16日    三上山のみ夏知れる姿かな

「三上山のみ夏知れる姿かな」 士朗
石部山きだきだと兀(はげ)ならぶ中に独(ひとり)蒼々たるものを望む。


  この句は、 井上士朗・鴎巣都貢が尾張から上洛した際、幣ぶくろ(ヌサブクロ)の紀行文に載せられたものある。
石部の宿から、辺りの山々を望むと、薪などの伐採が行なわれたため、夏になっても緑がない禿山であった。ただ、三上山だけが青くきわ立っている、と詠っている。18世紀の後半の三上山の光景を語っているものであるが、今なお昔と変わらず、深々とした濃い緑色を放っている。 
 と言うのは、三上山が三上神社の御神体として深く関わってきたからである。今日まで伐採が禁止されたり、違反して木を伐れば村から追放するなど厳しく規制されてきたため、樹が守られてきたのであろう。

 しかしながら、この山の樹種は、かなり変わってきている。
 
 17世紀中頃、柴刈りも行なわれて三上山に松茸が発生し、更に松茸の入札の記録がある。つまり、全山アカマツ林であったに違いない。それも、ごく最近まで続いていたと考えられる。50年ほど前、薪・木炭など使わなくなり、全く柴刈りも行われなくなった。時期を境に松枯れも起こり、松茸を育む赤松が、ほとんど見かけなくなってしまった。その結果、三上山の林相は南西麓に、18mにも及ぶコジイが生育し、中腹以上でヒノキ林となった。

  三上山に、夕焼けのような赤みかかった木肌があると聞き、探しに出掛けた。
少し広場になった妙見堂跡を通過して、緊急連絡ポイントM-3の表参道を入らず、中段の道を少しいったところを山手に入っていくと、友人が語っていた樹に出会った。羊歯も生えた薄暗いところに、自然色と思えないほど鮮やかな赤色をしたヒノキが何本もあった。根元から手の届く範囲で、皮が剥がされ、その皮が散乱していた。

         夕焼けのような赤みかかった木肌の桧三上山のみ夏知れる姿かな
            南西山麓の高木のコジイ
三上山のみ夏知れる姿かな

 三上山のみ夏知れる姿かな「この檜の大木は神社の屋根修理用の檜皮を試験的採取した大切な神木です。触ったり、傷をつけないようにして下さい」との立札がしてあった。木肌が元に戻るには10年ぐらいかかると言われている。





「三上山のみ夏知れる姿かな」の作者は松尾芭蕉と思われている人が多いようだ。

この背景には、ウィキペディアに次のように記述されている。
「中世以降、周囲の山々が燃料などの採取目的に伐採が続けられて、大規模にはげ山化していったが、三上山は取り残されるように青々とした山様を維持した。このことから ランドマーク的に存在感を増し、松尾芭蕉が『三上山のみ夏知れる姿かな』と詠んでいる 」。

最近、「三上山のみ夏知れる姿かな」と言う俳句は誰が読んだものか知りたい」との質問に対して、滋賀県図書館が回答しています。
 



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Posted by nonio at 07:26 │Comments( 0 ) 樹木 三上山
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