2024年03月10日    使い切ったボールペン

 筆記用具は、私たちの思考やアイデアを形にするための重要な道具です。文字や図形を通じて他人と情報を共有し、後で振り返ることで新たな気づきや発見を得ることができます。筆記用具は単なる道具以上のものであり、私たちの生活や思考を豊かにしてくれる存在だと思います。

 かつて、筆記用具と言えば、「えんぴつ」でした。三菱・トンボ鉛筆の名前は懐かしいですね。鉛筆の芯の硬さと色の濃さを「HB」と「B」で表されます。「B」は鉛筆の芯のBlackの頭文字をとったもので、HBよりも1段階芯が柔らかいものです。
昔、たいていの人は、「HB」が定番でしたが、私は柔らかく濃い「B」を使っていました。最近では、2Bが主流になっていると言われており、私に追いつき、越していくのは不思議な感覚です。
 私はもっぱら、小刀を使用していました。鉛筆を削るという行為が、文字を探りながら文章を繋ぐには、ちょうどいい“間”をもたらしてくれた。だから、黒鉛の芯を繰り出す「シャーペン」も便利ですが、私はあまり使ったことがありません。

 最近の文房具店では、ボールペンが多くのスペースを占めています。鉛筆はほとんど見かけません。私も、いつの間にかボールペンを使うようになりました。ボールペンは文章を書くだけでなく、日常生活のメモやリスト作成にも欠かせないものになっています。
油性ボールペンと水性ボールペンがありますが、水性ボールペンはインクの粘度が低く、なめらかな書き心地が良いため、私はどちらかと言えば水性ボールペンを使っています。

 さて、ボールペンに関することですが、私にとって中々達成できなかったことがありました。それは、「ボールペンのインクを完全に使い切る」ことです。

インクチューブ内に空気が入ったり、ペン先のボールが回転が悪くなったり、使用期間が過ぎ詰まってしまったりすると、様々なトラブルに見舞われ、机の引き出しなどに使い物にならないボールペンが転がっています。

 先日、ボールペンのインクを使い切るという、ささやかな快挙を成し遂げました。そうですね、ボールペンのインクを使い切ることは、物事の完遂ができた爽快感に通じると言えるでしょう。 

 ボールペンは私にとって、創造性を発揮する手段でもありますし、特別な存在でもあります。ボールペンのインクの減り方で、過ごした時間がわかる私の記憶でもあります。だからこそ、私の暮らしに向き合ってくれる相棒なのです。






Posted by nonio at 09:59 Comments( 0 ) その他

2024年02月08日    京都の言葉探し

  京都の嵯峨野・嵐山へぶらりと出かけた。JR駅から降りると、そこは人・人。様々な外国語が耳に飛び込んできた。
どうしょうもない喧噪から逃れるようにして、愛宕神社へと続く古道をのんびりと歩いていった。この神社のある山頂への登り口にある一の鳥居までやってきた。人の姿もまばらになり、京都らしい雰囲気が戻ってきていた。
 愛宕山の山頂にある愛宕神社には、往き帰り5時間を優に超えるため、参拝者の疲れを癒やしてきた茶屋「平野屋」があった。 創業は江戸初期らしい。この辺りには多くの茶店、旅篭(はたご)があり、愛宕信仰で賑わっていたらしい。今なお、茶店として、名物「志んこ団子」を供している。

 茅葺き平屋建の軒下に置かれた長椅子に腰掛けさせてもらって一息ついた。
辺りを見回していると、「むしやしない」と書かれた紙きれを目にした。この言葉を聞いたことがなかった。

 女将に尋ねてみると、「京都の古いことばで、ちょっとつまめる『おやつ』のことを指します」と教えてくれた。 
漢字で書くと「虫養い」。つまり「お腹の虫を養う程度の軽い食べ物」という意味である。どうも、この言葉は名物「志んこ」ことらしい。京都独特の言い回しである。

 一休みを終えて道を戻ると、つれが店先の小庭にある石板を指さした。石板の中央には「口」の字に見えるような穴が開けられており、その周りに「五」「隹」「矢」「疋」と刻まれていた。
私には、見覚えがあったのだが、咄嗟にはわからなかった。「それぞれ合わせると『吾唯知足』の四文字になりますよ」と読んでくれた。
この言葉どこかで、見たことがあるのだが、どうしても思い出せなかった。でも、脳裏には刺さっていた文字であった。

 7~8年前、龍安寺の石庭を見に行ったついでに、石庭とは建物を挟んで反対側にある「つくばい」だったことを思い出した。とにかく、本物を見なければと思って再度訪れた。

 この禅寺は、枯山水の石庭で有名なところである。が、そこを素通りして、直ぐに「つくばい」に向かった。茶室に入る前に手や口を清めるため、真ん中の水のたまっているところが、漢字の「口」となっていた。竹口から水が注がれ柄杓も置かれ、店屋に無造作に置かれていたレプリカとは一味違っていた。この歴史を感じさせる光景に感慨深い思いであった。

 ふと横の立札に眼をやると、「実物大の模型」と記されていた。
「これもレプリカかい」と思いつつ、お寺の多い京都ならでの言葉であり、言葉の持つ意味には変わりがないと自ら戒めた。
ひとは足りないことばかりを探し出しことより、満足する心を持ってと、釈迦が説かれたことを実践することになった。

―「足ることを知る人は、心は穏やかであり、足ることを知らない人は、心はいつも乱れている」―

 嵐山や嵯峨野に足を踏み入れると、時間がゆっくりと流れていた。愛宕山の山頂にそびえる愛宕神社や、その近くに佇む茶屋「平野屋」は、古き良き時代の面影がそこには残り、茶屋の軒下に掲げられた「むしやしない」という言葉や、「吾唯知足」という石板に刻まれた言葉は、京都ならではの心を象徴していた。これらの言葉は、物質的な豊かさよりも、内なる満足と平穏を求める京都の人々の姿勢を示していた。

 皆さんも、京都での言葉さがしは、いかが。













Posted by nonio at 19:35 Comments( 0 ) 京都

2023年12月28日    水位の低下が紡ぐ琵琶湖の幻の道

 私は、取り立てた用事もなく、湖周道路を長浜へと北上していた。別名「さざなみ街道」とも呼ばれている。この道路は湖岸沿いに取り付けられ、物静かな景色が広がり、人気もめったにないところだ。

 突然、海老原漁港近くで道路脇に人が群がっている光景が目に飛び込んできた。駐車場が満車で、人々は興奮気味に漁港へと向かっていた。私は好奇心に駆られ、その流れに従ってみることにした。

 漁港の脇に備え付けられた階段を下り、背丈ほどの生い茂る枯れ草の中に人々が消えていったので、その踏み跡に続いた。ぬかるんだ小道を通り抜けると、そこには湖畔と小島が陸続きになり、幻想的な光景が目の前に広がっていた。
行く途中、ぬかるみで引き返そうとしていたおばさんに、「せっかく来たので行こう」と言って手助けしてやった。この人は、この近くに住んでいるのか、いろいろ話してくれた。

「琵琶湖の水が引くと、湖底に隠れていた砂利が現れ、水はけが良い遠浅ができるの。奥の洲と呼ばれる小島と湖辺とが陸続きになる」と話しながら、約200メートルの幻の道を指さしながら、あれこれ説明してくれた。
「左に見える島が竹生島だよ。でもねぇ、今は水位低下で船の着岸に苦労しているの」
「・・・・・・・」
「今回が初めて幻の道が現れたわけではないの。30年ほど前かなぁ、私も元気だった頃、貝をひらいにきたことがあるの。そうそう、一昨年も道が出現したの。毎年楽しみにしていますが、起こらない年もあるので、あまりあてにできないの」とほほ笑んでいた。

私は「来年も出現したらいいのにねぇ」と言って別れた。

 この出会いは、水位の低下がもたらすこの特別な瞬間が、私にとって琵琶湖の新たな魅力を発見することになった。

 ところで、琵琶湖は近畿地方に住む人々にとって欠かせない水源であり、この近畿の水瓶の水位低下は由々しき問題でもあります。1986年、1994年、そして2021年に琵琶湖の水位が異常低下しています。琵琶湖の水位は、流入する河川が100以上ある中、水の流出量は瀬田川の洗堰で一定のルールに従ってコントロールされているようです。もう少し天候の長期予想などを組み込んでみるといいのかもしれません。





 





Posted by nonio at 03:47 Comments( 0 ) 滋賀を歩く

2023年12月14日    春夏冬の三季になったら

  私にとって、「毎年、秋が来た」と分かる木が山野にあります。その木の名前は知りませんが、晩秋になると、葉っぱが様々な色に染まります。私はそれを「虹色の葉っぱの木」と呼んでいます。しかし、今年の夏は高温かつ少雨で、近畿地方では水不足が生じ、琵琶湖の水位が低下しました。葉の色つきも悪く、瞬く間に散ってしまいました。今年は秋がなく、冬がすぐに到来したようです。

         一昨年の紅葉                今年の紅葉
  

 友達に、「今年は急に寒くなったね。四季が春・夏・冬の三季になってしまったようだ。取り立てて聞く必要もないが、私は『秋がなくなることで、秋の季語がどうなるか』と案じています」とラインで友人に問いました。

様々な返答がありました。

「今年に関しては、秋が短くなったな。俳句は刹那を詠むもので、暑い夏に感じる秋を密かな期待はまだしばらく楽しめそう」
「山は錦色に染まり、野は草紅葉…素晴らしい秋の季節がなくなる前に人生をお終わりたい」
「うーまず侘び・寂がなくなり、人の性格が激しくなるかも」
「松茸や栗が味わえなくなるし、寒くなると高齢者が大変だ」
「私には問題が難しすぎますが、郷愁の言葉がなくなるかなぁ」
「…………」

 日本列島は海に囲まれ、狭い島国でありながら、海と山が極めて近い地勢である。海洋性気候を受け、朝夕の寒暖の差や季節ごとの気候の差が大きく出やすい環境にあります。春には桜が咲き、夏には暑い日が続き、秋には葉が色づき、冬には寒冷で雪が積もるところです。
地球上でも日本のような四季がはっきりとした国々はわずかです。春・夏・秋・冬の季節の移ろいの中で、世界に例を見ないあらゆるものに精霊が宿ると言う日本固有の文化がはぐくまれ、自然と共存してきました。

 滋賀にゆかりのある松尾芭蕉が四季折々の俳句を残しています。彼が目指したのは、静寂の中の自然・人生観を詠みこんだことです。

春: 「古池や 蛙飛び込む 水の音」
夏: 「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」
秋: 「秋深き 隣は何を する人ぞ」
冬: 「旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる」

秋の句は、晩秋の寂しさの中、隣から伝わる人の気配に思いを馳せ、温もりに満ちた世界を詠んだものでした。

 秋は、季節のうねりの中で夏の「動」から冬の「静」へ移行する間の一息つく季節です。この季節は、爽やかな風、紅葉の美しい彩りに包まれ、人々に静寂と調和をもたらしていました。その季節がなくなることで、人々の生活や感性にも変容が生じることになるでしょう。
GPT Chatにも同様に、「秋がなくなればどうなる。一言で」と質問をぶつけてみました。すると、環境問題などを述べることもなく、「寂寥」という言葉を差し向けてきました。あるべきものが無くなり、物悲しい感情が欠落するという言葉を選んできたことに感心しました。

 四季が三季に変わると、日本人の心情と文化にも深い影響が及ぶでしょう。季節の変化が日本の生活と共に息づいているため、それが減少することで、人々の感性や行動に変化が生じます。まず、日本人の季節感覚は深く根付いています。春の桜、夏の祭り、秋の紅葉、冬の雪景色といった季節ごとの風物詩が日常に溶け込んでいます。四季が三季に減ると、これらの風物詩が不足することで、人々の日常に寂寥感が漂うでしょう。季節感覚の薄れにより、人々は失われたものへの郷愁を感じることになります。









Posted by nonio at 06:58 Comments( 2 ) 四季

2023年11月17日    三上山でホトトギスとの出会い

  数年前から、希望が丘・三上山の登山路入り口に、ひっそりと佇む「ホトトギス」を見つけて以来、その存在に興味を抱いていました。というのは、この花の生息に関する報告書や、この周辺で見かけたという話も聞いたこともありませんでした。山野の一角に潜む希少な花であることを知りながらも、当時はそれほど心を引かれるものではありませんでした。
 たまたま、我が家の庭には台湾系ホトトギスの交配種を植えていました。この花の模様や色彩とが驚くほど類似しており、その生い立ちには特に意識を向けることなく、美しいが、むしろ重ぐるしい印象でした。

 ホトトギスの容姿は、昆虫たちにとっては魅力的なのでしょうが、私にとっては奇妙なものに見えました。雄しべと雌しべの区別が難しく、6本の雄しべが花の中心に寄り添い、雌しべは3分裂し、さらに細かく2分裂する複雑な構造。これはまさに虫を引き寄せ、受粉を促す巧妙な戦略であることは理解していました。これからも、この花の容姿がますます複雑に変化していくのでしょう。

 私は心の中で、もっと簡潔で美しい姿が好ましいと思いながらも、江戸時代から続くホトトギス愛好者たちがいたことから、人は美しさに異なる視点を抱えているのでしょう。

 そこは、山道の端には崖が迫り、水がにじみ出ていました。木漏れ日も差し射し込み、この花にとっては安住の居場所なのでしょう。当初2本程度育っていましたが、現在6~7本に増えました。そして、今年になり、その花を愛でに訪れる人々が増えてきました。そして皆さん口々に「ヤマジノホトトギス」と語り始めました。私は、園芸種でなかった場合、それは日本固有の「ホトトギス」だと思っていました。その名前には、どうしても馴染めない感覚があり、じっくりと観察し、調査を重ねてみました。

 この自生しているホトトギスの花被片の基部には黄色の班紋が見られますが、ヤマジノホトトギスの基部の黄色の斑点がないことからどうも違うようです。また、ホトトギス類の花被片の反り返る状態でも判断ができますが、茎の繊毛の生え向きに注目してみました。茎の繊毛が上向きに生えていました。ヤマジノホトトギス(ヤマノホトトギス)は、下向きであることから、ヤマジノホトトギスと呼ばれているのは間違いであるとわかりました。さらに、花被片の基部近くの内面が黄橙色になっていることから、園芸種の台湾ホトトギスと日本固有のホトトギスに絞られてきました。

 庭に咲いている園芸種のホトトギスは、花茎は頭頂部で四方に分岐して多くの花を咲かせています。しかし、自生しているホトトギスは、行儀よく順番に葉のわきに花をつけていました。このことから、どうも、日本固有のホトトギスのようです。この内容を仲間に話してみると、何となく納得してもらいました。

 今回は、つぼみから風に任せて花が散るまで、そして実を結ぶまで見守りました。この間、一本も盗掘されることもなく、無事終わりました。来年も楽しみにしています。












2023年10月09日    彼岸花の多彩な色彩と意味

  彼岸花の色はピンクやクリーム色など華やかな色も存在するようですが、自然界に自生しているのは三つです。
赤、白、黄色の色が見られると言われていましたので、身の回りを丹念に探してみました。

 ヒガンバナの色は主に「赤」ですが、白色が少しだけ、やっと「黄色」の彼岸花を一本見つけました。

 花弁は妙に反り返り、縁のフリルが長々と同じように見えますが、これほどの印象の変化があるのでしょうか。
  
    
    べにの彼岸花: 別れと再会、紅の花が語る。
    白い彼岸花: 一途な思い、白い花が誓う。
    黄色い彼岸花: 陽光の中で、黄色い花が笑っているようです


 




タグ :彼岸花


2023年10月01日    自然との調和:サギソウの美

 私は、近場の自生している山野草を探して楽しんでいます。時には、「ラン類」に出会ったときは、その日は、大自然をより身近に感じ、心豊かになります。

 野洲市には、近江富士として知られている三上山があります。加えて、鏡山(標高384m)が、湖南地域の北東端、湖東地域に接して、しなやかな丘のような山が張り出しています。そこには、荒川と善光寺川の二つの小川が、谷間を蛇行しながら流れています。その川辺にひっそりと山野草を育んでいるのです。 8月末から9月上旬、日野川に注ぐ善光寺川沿いの支流を遡り、球根性のランである「サギソウ」探しに、何回も足を運んできました。

 さて、ここに自生している「サギソウ」は、園芸種のサギソウと一味違うのです。

 菜園で栽培されたサギソウは、人の好みに合わせて柔らかな顔をしているのです。ところで、野生のサギソウは、シラサギの羽見立てられる細裂したギザギザ部分の花びらの切れ込みが鋭く、際立っているのです。

  と言うのは、サギソウの花粉媒介者である「スズメガ科のガ」が、長いストローのような口を使い、花の蜜を吸いにやってくる際、花弁にとまりやすくしているのです。スズメガが地球上に現れたのはおそらく数千万年前、新生代の初めだったと考えられています。
たったこれだけのことですが、途方もない長い年月の共進化によって出現した姿なのです。
 自然界では、突然変異や自然選択によって、生物の遺伝子が長い時間をかけて変化してきているのです。
植物たちは長年の進化の中で、遺伝子の突然変異がいつも不規則に起き続けていて、その内のどれかが子孫に受け継がれ、その形状や特性を磨き上げてきたのです。真白な花弁といい、シャープな切れ込みが、その結晶と言えるでしょう。
 私は、植物の自生していることに、深い深い畏敬の念を呼び起こされます。

 人が関与し、わずかな時間で創り出された「園芸種のサギソウ」と、自然の進化によってできたものとの対比は、考えさせられるものです。
 人間は自然の神秘的なプロセスを理解しつつも、それを自分たちの都合に合わせて変更しようとします。自然界では、頻繁に起こりえないことを、園芸や育種において、植物の姿を変えてきました。また、自然界では滅多に起こりにくい遺伝子組換えまでおこない、本当に短期間でその姿を変えさせています。遺伝子組み換えで出来上がった美は、いかがなものでしょう。

 自生しているサギソウが教えてくれることは、自然との調和が、本当の美しさと創造性の源であるということです。自然との関係を深め、植物と共存することは、私たちが持つ畏敬の念を育む一歩かもしれません。

 この丘陵地帯に足を踏み入れると、素晴らしい清流と森が織り成す世界に魅了され、何度も訪れています。私がその一人です。








































2023年07月20日    オオバノトンボソウの楽園:三上山の攪乱地帯での共生の物語

 三上山の中腹には、山地の斜面が裸地になっている一帯があります。毎年の真夏になると、ラン科のオオバノトンボソウ(大葉ノ蜻蛉草)が、ほぼ同じ場所に姿を現します。「今年も暑くなってきたなぁ」と四季の移り変わりを感じさせられます。

 この周辺は常に土砂が崩れ落ち、土壌が流されていく場所です。その状態を「攪乱」と言います。大木が倒れ、日が射し込む場所です。成熟した森林で、新たな植物が競って発芽し・育つことができる、またとない場所なのです。人間社会において、このような災害が頻発する地域は心配されるかもしれませんが、逞しい植物にとっては、すばやく進出し、若干の危険を伴いながらも力強く成長する場所でもあります。

 さて、オオバノトンボソウは、自らの生存のために攪乱された地に進出するのかどうかはわかりませんが、草丈35センチくらいのトンボソウが根を張り生き抜いています。先日、友人に自生しているオオバノトンボソウの写真を送ると、周囲を探し回ったようで、4枚もの写真を返信してくれました。オオバノトンボソウにとって、この傾斜部一帯が楽園になっているようです。

 「蜻蛉草(トンボソウ)」という名前は、まるでトンボが枝に並んで止まっているようにも見えることから付けられました。同様に、千鳥の野鳥にちなんだチドリや、鈴虫に関連したスズムシソウ、そして蜘蛛に因んだクモキソウなど、山野に生える花には小鳥や昆虫の名前がつけられることがあります。なぜこれらの植物がこのような姿をしているのか不思議でならないです。大自然の奥の深さを感じさせられます。

 それにしても、植物の花は虫を引き寄せるために黄色や赤色、紫色など鮮やかな色をしています。しかし、トンボソウは地味な草色で目立ちません。このままでは虫が寄ってこないのでは、と心配になります。

 小さな蜘蛛が、トンボソウの一か所に住み着き、虫を捕食するための糸を張っていました。少し突いて意地悪をすると、一旦逃げ出しましたが、翌日になると、同じ場所に隠れ気味に構えていました。私には、迷惑な蜘蛛と思えたが、トンボソウにとっては案外共生しているのかもしれません。写真機のファインダー越しに、微笑ましい姿を眺めていると、神秘の世界にのめり込んでしまった。




 










 



















2023年07月07日    40年に一度の花が咲いた/水生植物公園みずの森

その日は、日曜日だったのか、滋賀県草津市にある植物園の駐車場が満車になっていた。少し高台にある第2駐車場に行っても、自動車を駐める場所を探し回らなければならなかった。

入場券を購入するのももどかしく、目当ての植物のところに直行した。そこには豊かな緑が広がっており、その中でもニューサイランは一際目立っていた。名前を呼んでみると、その植物は微かに揺れながら返事をした。

「私がニューサイランです。ここは私の新しいホームです」と言った。そして自らの行きがかりを説明し始めた。「私はニュージーランドで生まれ、数年前にここに移植されました。この植物園で育つことで、新たな命を与えられたのです。でもねぇ、美しい花を引き立てる役割を果たすために植え付けられたのです」

「どうして」と相づちを打つと、
ニューサイランは微笑みながら答えた。「実は私は珍しい植物で、滅多に花を咲かせることはありません。─まあ脇役だね─」

「今日はたくさんの人がやってきたのは、どうしてでしょうか」と怪訝な様子で聞き返してきた。
私はその訳を話してやった。
「ユーを世話しているボランティアさんが、6月6日、ニューサイランが花を咲かせている」とTVで放映されたからだ。『30年から40年に一度しか咲かないと言われるニューサイランが、滋賀県草津市にある植物園で初めて開花し、見頃になった』」と騒ぎだしたから人が集まってきた。
「ユーが主役になったのだ」と明かしてやった。

次の日も、気になることがあったので、再び同じところに出向いた。
たまたま、ガイドさんがおられたので、見たことがある葉っぱについて、話しかけてみると、「ニューサイランの葉っぱは、生け花にされている。葉っぱの色は多彩で、ライムグリーンや深緑、シルバーグリーン、銅、赤色など多彩で珍重されている」と説明を受けた。

「なるほどなぁ」と私の疑問が解消した。

花を咲かせ、実をつけて子孫を繋いでいくためには、40年という単位はあまりにも長すぎる。 自然界は、私の理解を遥かに超えているなぁと思っていました。ところが、人の手で株分けされ、園芸種として栽培されることによって、世界的規模で繁殖する術を持ったようだ。植物の生き残りの多様性には驚かされた。 

ただ、寿命を全うするときに、花を咲かせると言われている。もしかしたら、来年も咲くのか、今年だけなのかはまだ分からない。この植物の様子を、少し見守りたいと思っている。














2023年06月17日    ウツギの魅力と思い出/花緑公園にて

 金ランを探していた友人から、「今は、ウツギに癒されています」と報せてきた。「白・黄色・ピンク・少し赤と色んな色合いに夢中になっています」とも。
先日も、かつて乙女だった3人が、連れ添って花緑公園に行き、サラサウツギの下で長々とよもやま話をしていたようだ。

 ウツギは普段、庭木や生垣として目にするので、それほど気が惹かれる木ではなかった。それで、友人に「ウツギねぇ~」と返信をしたものの、何となく花緑公園に出かけてみた。

 ウツギは漢字で「空木」と書く。この漢字を読める人は少ないようだ。私は中央アルプスの空木岳に行っているので、「ウツギ」という読み方を知っていたが、確かに読みにくい文字だ。ウツギとは、幹や枝の中心が「髄」ではなく、空洞になっていることから「空木(うつろぎ)」がウツギと呼ばれるようになったと言われている。

 花緑公園の案内板にはウツギの表示がなく、なかなか見つけられなかった。木の下に散らばっている枯れ木をひらい上げては、中空の枝を探した。一本ずつ確認するのに骨がおれた。何周も公園内を歩き回り、ついに空洞の枝を見つけた。ウツギの葉は細長い卵形で先が尖り、対生で生えており、まさにウツギであった。

 その樹木は私よりも少し高く、根元から多くの枝が分かれていた。枝には純白の花弁が重なり合っており、花弁の付け根あたりにはわずかに愛くるしいピンク色が残っていた。花弁は中心部に密集し、外側に向かって複数の層になっていた。重なって咲いている花なので、何かを隠しているような秘密めいた雰囲気が漂っていた。そして、花弁は全て下を向いていた。枝から垂れ下がる花姿は、古風というよりも謙虚で温和に思えた。

 この控えめで安心感のある花姿に、彼女らは自分たちの人生の思い出を重ねていたのであろう。
友人は「ピンク色の花が満開を過ぎると、薄くなっていました」と。季節の移ろいの中で、時の流れを感じ取っていたようだ。

 そして、友人は「色々お医者さんと仲良くするような歳になりました」と結んでいた。歳を重ねたわが身を悔いるのでなく、この花の一枚一枚に、過ぎ去った自分たちの歴史を投影しては、「今」を楽しんでいたようだ。
 ウツギに出会った友人の言葉は、思いもよらないところに、人生の意味を考えさせてくれた。

 なお、ウツギの枝は全て中空だと思っていたが、実際にはそうでもなかった。庭にウツギを植えている別の友人に「ウツギの枝が中空か確認して」とラインを送ったところ、「山で見かけるウツギに似ているけど、枝は詰まっていた」と返信があった。「空木じゃなくて宇津木かもしれないね(笑)」と茶化してきた。




 サラサウツギは園芸種である。私にとっては、力強く自生しているウツギ探しに、鏡山へ向かった。善光寺川沿いに「タニウツギ」や「キバナウツギ」に出会えた。三上山は檜の二次林に覆われているが、北尾根縦走路には雑木林が多く、「タニウツギ」「コツクバネウツギ」「ノリウツギなどが自生していると聞いていたので、出かけたが、花がすでに散っていた。来年には、三上山周辺を散策したいと思っている。