数年前、琵琶湖一周した時、心に留まってしまった石仏があった。
高島から国道161号線を南下し、白髭神社にあとわずかに近づいたところで「鵜川四十八体石仏群」(←地図)に出合った。
当時、「とにかく、琵琶湖一周をするんだ」との思いで、完遂することだけを目標に歩き切ったのだが、不思議と蘇ってくる風景もあった。このようにさりげなく思い出す記憶には、自分が追い求めている原点らしいものに触れる事ができるようである。
西近江路は、琵琶湖の西側を通っている道である。奈良時代、京都と北国を結ぶ道として重要視され、北国道、北国海道、西近江路と呼ばれていた。現在、敦賀から大津へ行く国道161号線をほぼ辿っているルートでもある。
湖西地方は安曇川の三角洲のある平地を除いて、湖と山地に挟まれ、街道は山麓を這うように道筋がつけられている。特に、白髭神社辺りは、湖と山地が競い合って狭く交通の難所でもある。自動車が頻繁に走る161号線を避けて、出きるだけ、山沿いにある細長い勝野・打下集落を通っている西近江路を辿った。その内、木が生茂る山沿いの道に入った時に、偶然にも草深い共同墓地の前列に鵜川四十八体石仏群にであった。
先日、ふとこの記憶が蘇り、再び訪れる気になった。「なんであんなところに、阿弥陀如来像さまが何体も整然と並んでいるのか」との疑問が頭をよぎり、早速出向いていった。
高島市高島の白髭神社付近に「いにしえの道西近江路」の道標があり、上り坂になっている道を辿っていくと、鵜川四十八体石仏群に再び出合った。
東を向いて並んで座っている石仏は、ひとつとして同じ顔はない。やさしい顔つき・にこやかな顔つき・おかしみのある顔つき・いつくしむような顔つき・柔和な顔つき、慈愛に満ちた顔つき・・・・やはりその表情は母親の顔つきであった。少し風化も始まり、より一層風情が伝わり親しみを覚えた。

「観音寺城主六角義賢(ろっかくよしかた)が亡き母上の追善のための阿弥陀48願にならって阿弥陀如来坐像を石で刻んだ」と表示板に説明されていた。観音寺城から琵琶湖の対岸にある鵜川を極楽浄土と見立てて、四十八体石仏を作らした。亡き母上を偲ぶ気持ちはいつになっても、変わらないようだ。
勘定すると「48体にどうも足りない」ようだ。更に表示板を詳しく読んでみると「48体あった石仏のうち13体が、大津市坂本の慈眼大師廟に移され、2体は盗難、ここ鵜川には33体」。
後日、信長による焼き打ちのあと、延暦寺の復興に尽力した慈眼大師天海を祀る廟所を訪ねることにした。

以前、比叡山を隠居した僧侶が住む里坊がある坂本に、訪れた事があった。
白壁が見事な滋賀院門跡を訪れた際、慈眼堂に寄り道をした。
石積みの似合う門前町 ←クリック →写真クリック拡大
滋賀院門跡から案内板に導かれて奥へ奥へ辿っていくと、階段を登りきったところにひっそりと鎮まる慈恵堂に至った。元々、坂本の町は都会の喧騒の世界と違って、落ち着いた静かな雰囲気を持った町並みである。更に奥まったところにある慈眼堂は益々静かであった。
僧侶が丁寧に落ち葉1枚1枚を拾い集め、竹ほうきの掃く音が、より一層静けさを深めていた。この情景が、なぜか心に沁みこんでいた。そこは妙に落ちつき、世俗離れをした特別の空間のように思えた。
「静」とは文字通り静かであり、「謐」も「しずか」とう意味である。ここは「しずか」が二つ重ねられた「静謐(せいひつ)」と言う言葉が相応しい。静寂を通り越して繭(まゆ)に包まれたような穏やかな心地よさが漂っていた。
先日、再び訪れたが、慈眼堂の印象は従前と何ら変わっていなかった。ただ、その時には13体の石仏が慈眼堂に運び込まれていた事を知らなかった。今回では阿弥陀如来像さまの顔つき・姿を知っていたので直ぐに目がいった。石仏が山手にひな檀状に並んでおり、上段に鎮座されていた。
この話を親友に話したところ、この13体をひとつひとつ、いつくしむように眺め、慈眼堂のよさを発見したようだ。ここには、観光客もあまり訪ねてこないところでもあり、そっとしておくところかも知れない。

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高島から国道161号線を南下し、白髭神社にあとわずかに近づいたところで「鵜川四十八体石仏群」(←地図)に出合った。
当時、「とにかく、琵琶湖一周をするんだ」との思いで、完遂することだけを目標に歩き切ったのだが、不思議と蘇ってくる風景もあった。このようにさりげなく思い出す記憶には、自分が追い求めている原点らしいものに触れる事ができるようである。
西近江路は、琵琶湖の西側を通っている道である。奈良時代、京都と北国を結ぶ道として重要視され、北国道、北国海道、西近江路と呼ばれていた。現在、敦賀から大津へ行く国道161号線をほぼ辿っているルートでもある。
湖西地方は安曇川の三角洲のある平地を除いて、湖と山地に挟まれ、街道は山麓を這うように道筋がつけられている。特に、白髭神社辺りは、湖と山地が競い合って狭く交通の難所でもある。自動車が頻繁に走る161号線を避けて、出きるだけ、山沿いにある細長い勝野・打下集落を通っている西近江路を辿った。その内、木が生茂る山沿いの道に入った時に、偶然にも草深い共同墓地の前列に鵜川四十八体石仏群にであった。
先日、ふとこの記憶が蘇り、再び訪れる気になった。「なんであんなところに、阿弥陀如来像さまが何体も整然と並んでいるのか」との疑問が頭をよぎり、早速出向いていった。高島市高島の白髭神社付近に「いにしえの道西近江路」の道標があり、上り坂になっている道を辿っていくと、鵜川四十八体石仏群に再び出合った。
東を向いて並んで座っている石仏は、ひとつとして同じ顔はない。やさしい顔つき・にこやかな顔つき・おかしみのある顔つき・いつくしむような顔つき・柔和な顔つき、慈愛に満ちた顔つき・・・・やはりその表情は母親の顔つきであった。少し風化も始まり、より一層風情が伝わり親しみを覚えた。

「観音寺城主六角義賢(ろっかくよしかた)が亡き母上の追善のための阿弥陀48願にならって阿弥陀如来坐像を石で刻んだ」と表示板に説明されていた。観音寺城から琵琶湖の対岸にある鵜川を極楽浄土と見立てて、四十八体石仏を作らした。亡き母上を偲ぶ気持ちはいつになっても、変わらないようだ。
勘定すると「48体にどうも足りない」ようだ。更に表示板を詳しく読んでみると「48体あった石仏のうち13体が、大津市坂本の慈眼大師廟に移され、2体は盗難、ここ鵜川には33体」。
後日、信長による焼き打ちのあと、延暦寺の復興に尽力した慈眼大師天海を祀る廟所を訪ねることにした。

以前、比叡山を隠居した僧侶が住む里坊がある坂本に、訪れた事があった。白壁が見事な滋賀院門跡を訪れた際、慈眼堂に寄り道をした。
石積みの似合う門前町 ←クリック →写真クリック拡大
滋賀院門跡から案内板に導かれて奥へ奥へ辿っていくと、階段を登りきったところにひっそりと鎮まる慈恵堂に至った。元々、坂本の町は都会の喧騒の世界と違って、落ち着いた静かな雰囲気を持った町並みである。更に奥まったところにある慈眼堂は益々静かであった。
僧侶が丁寧に落ち葉1枚1枚を拾い集め、竹ほうきの掃く音が、より一層静けさを深めていた。この情景が、なぜか心に沁みこんでいた。そこは妙に落ちつき、世俗離れをした特別の空間のように思えた。
「静」とは文字通り静かであり、「謐」も「しずか」とう意味である。ここは「しずか」が二つ重ねられた「静謐(せいひつ)」と言う言葉が相応しい。静寂を通り越して繭(まゆ)に包まれたような穏やかな心地よさが漂っていた。
先日、再び訪れたが、慈眼堂の印象は従前と何ら変わっていなかった。ただ、その時には13体の石仏が慈眼堂に運び込まれていた事を知らなかった。今回では阿弥陀如来像さまの顔つき・姿を知っていたので直ぐに目がいった。石仏が山手にひな檀状に並んでおり、上段に鎮座されていた。
この話を親友に話したところ、この13体をひとつひとつ、いつくしむように眺め、慈眼堂のよさを発見したようだ。ここには、観光客もあまり訪ねてこないところでもあり、そっとしておくところかも知れない。

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数年前、琵琶湖を徒歩で一周したことがあった。この時、高島市針江の集落に湧き水が出る「かばた」があることを知った。
安曇川の河口は、三角州が発達して、琵琶湖に出っ張るような形をしている。内陸部を横断するように進めば最短距離になるのだが、「可能な限り、琵琶湖の湖畔を周遊したい」との思いから、近江今津から高島市新旭水鳥観察センターを経由して、湖畔沿いの安曇川今津線を進んだ。通称、湖周道路または風車街道と呼ばれている道路だ。
このあたりは、安曇川が運んできた土砂で遠浅になっていて、湖岸沿いに湿地や砂浜、入り江が形成している。湖畔にはヨシなどの水生植物が生え、その背後地にはカワヤナギ類の樹木などの自然林が育つ、昔日の琵琶湖を彷彿させる原風景があった。
針江大川にやって来た時、仲間のK氏から「この川には、上流がない」と変なことを言い始めた。
「針江地区辺りに、湧き水が自噴し、この水が集まり、針江大川になっている」と説明を受けた。どうも、安曇川の伏流水が、地下の何らかの障害物に遮られ、この一帯に湧き出し上流のない川を形成しているようだ。
更に「生水の郷を知っているか」と聞かれた。私は、「否」と答えると
琵琶湖一周を何回も行っているK氏は「針江一帯には『川端(かばた)』と呼ばれる水場があり、家庭の炊事や洗い物の生活用水として使われてきた。食べくずは川端で飼うコイが食べてくれる」と得意げに話してくれた。
この時、先を急いでいたので、何時の日か針江に訪れたいと思っていた。
月日が経ち最近になって、野洲市役所の「生きがいづくりの会館外研修会」で「川端(かばた)と街並を見学」のお知らせの文字を目にし、早速出向くことになった。地区内の有志によるボランティア団体「針江生水の郷委員会」の方々により案内してもらった。10人ほどにグループ分けされ、そこに一人のガイドさんが付いた。
集落には網の目に水路が張り巡らされて、水路が家の中に取り込まれていた。各家庭思い思いの工夫を凝らしたかばたがあったが、基本的には同じ構造であった。
水路が取り込まれた「端池」には鯉が飼われていた。ここでは鯉が泳ぎまわり野菜、果物、食器を洗ったりしている。端池には食べかすや野菜屑、使用された皿や鍋などを沈めておくと、端池内に飼われている淡水魚が食べ物の屑を全て食べてしまう。また、鯉以外の5cmほどのヨシノボリなど淡水魚が琵琶湖から遡行して、来るとも話していた。
ここ「かばた」は、琵琶湖と湧き水を繋ぐ特異なところであった。
管を地下に差し入れれば、水温13度前後の湧き水が自噴してくる。この湧き水は一旦壷池に溜められ、この水は飲んだり、野菜、果物を冷やしたりしていると説明された。普段は見ることの出来ない集落の暮らしや人々に接することが出来た。

集落を流れている小川には藻が繁茂しており、所々に小さな梅の花に似た白い花も見かけた。季節外れに咲いた清流にしか育たない「ばいかも」のようだ。案内のガイドさんによれば、年に何回か、住民総出で清掃作業をされているが、この共同作業を通じて、環境をよくする意識が、より一層芽生えてきたと語っていた。

各家庭に取り込んだ水は、集落の中央を流れる針江大川を通って、琵琶湖に最終的に流れ込んでいるところだ。ここは、NHKが取材を続けてきた「映像詩 里山命めぐる水辺」が撮影された場所である。やっと見つけた三五郎さんの船着場である。
そっと近づいたのだが、私の足音に気づいたのか、突然、辺りの静寂を破って、枝にとまっていたサギが飛び出し、続いて数匹の野鳥が、懸命に水面を蹴りながら飛び出した。
一呼吸すると再び、何も起こらなかったように林の中に吸い込まれるような静けさが戻ってきた。ここには手付かずの安らぎを感じる自然があった。

湧き水の恩恵を受け、「カバタ」と呼ばれる独特のしくみが出来上がり、人々は、湧き水を日々の生活に利用している世界に興味を持ち、見学後、何回もこの地に足を運んだ。
特に、冬季の様子を見たくなり、国道161号線の東側にある滋賀県道333号安曇川今津線に行ってみた。滋賀県高島市北船木附近を起点に高島市北浜交点に至る一般道。この辺りは、一面雪に蔽われ、厳しい自然が広がっていた。
今まで、我々は効率や暮らしの快適さを求めてきた。蛇口をひとひねりさえすれば、水がえられる便利な時代に、昔ながらの水と人とのかかわり方の暮らしを見る事ができ、改めて水の大切さを感じさせられた。

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安曇川の河口は、三角州が発達して、琵琶湖に出っ張るような形をしている。内陸部を横断するように進めば最短距離になるのだが、「可能な限り、琵琶湖の湖畔を周遊したい」との思いから、近江今津から高島市新旭水鳥観察センターを経由して、湖畔沿いの安曇川今津線を進んだ。通称、湖周道路または風車街道と呼ばれている道路だ。
このあたりは、安曇川が運んできた土砂で遠浅になっていて、湖岸沿いに湿地や砂浜、入り江が形成している。湖畔にはヨシなどの水生植物が生え、その背後地にはカワヤナギ類の樹木などの自然林が育つ、昔日の琵琶湖を彷彿させる原風景があった。
針江大川にやって来た時、仲間のK氏から「この川には、上流がない」と変なことを言い始めた。
「針江地区辺りに、湧き水が自噴し、この水が集まり、針江大川になっている」と説明を受けた。どうも、安曇川の伏流水が、地下の何らかの障害物に遮られ、この一帯に湧き出し上流のない川を形成しているようだ。
更に「生水の郷を知っているか」と聞かれた。私は、「否」と答えると
琵琶湖一周を何回も行っているK氏は「針江一帯には『川端(かばた)』と呼ばれる水場があり、家庭の炊事や洗い物の生活用水として使われてきた。食べくずは川端で飼うコイが食べてくれる」と得意げに話してくれた。
この時、先を急いでいたので、何時の日か針江に訪れたいと思っていた。
月日が経ち最近になって、野洲市役所の「生きがいづくりの会館外研修会」で「川端(かばた)と街並を見学」のお知らせの文字を目にし、早速出向くことになった。地区内の有志によるボランティア団体「針江生水の郷委員会」の方々により案内してもらった。10人ほどにグループ分けされ、そこに一人のガイドさんが付いた。
集落には網の目に水路が張り巡らされて、水路が家の中に取り込まれていた。各家庭思い思いの工夫を凝らしたかばたがあったが、基本的には同じ構造であった。
水路が取り込まれた「端池」には鯉が飼われていた。ここでは鯉が泳ぎまわり野菜、果物、食器を洗ったりしている。端池には食べかすや野菜屑、使用された皿や鍋などを沈めておくと、端池内に飼われている淡水魚が食べ物の屑を全て食べてしまう。また、鯉以外の5cmほどのヨシノボリなど淡水魚が琵琶湖から遡行して、来るとも話していた。
ここ「かばた」は、琵琶湖と湧き水を繋ぐ特異なところであった。
管を地下に差し入れれば、水温13度前後の湧き水が自噴してくる。この湧き水は一旦壷池に溜められ、この水は飲んだり、野菜、果物を冷やしたりしていると説明された。普段は見ることの出来ない集落の暮らしや人々に接することが出来た。

集落を流れている小川には藻が繁茂しており、所々に小さな梅の花に似た白い花も見かけた。季節外れに咲いた清流にしか育たない「ばいかも」のようだ。案内のガイドさんによれば、年に何回か、住民総出で清掃作業をされているが、この共同作業を通じて、環境をよくする意識が、より一層芽生えてきたと語っていた。

各家庭に取り込んだ水は、集落の中央を流れる針江大川を通って、琵琶湖に最終的に流れ込んでいるところだ。ここは、NHKが取材を続けてきた「映像詩 里山命めぐる水辺」が撮影された場所である。やっと見つけた三五郎さんの船着場である。
そっと近づいたのだが、私の足音に気づいたのか、突然、辺りの静寂を破って、枝にとまっていたサギが飛び出し、続いて数匹の野鳥が、懸命に水面を蹴りながら飛び出した。
一呼吸すると再び、何も起こらなかったように林の中に吸い込まれるような静けさが戻ってきた。ここには手付かずの安らぎを感じる自然があった。

湧き水の恩恵を受け、「カバタ」と呼ばれる独特のしくみが出来上がり、人々は、湧き水を日々の生活に利用している世界に興味を持ち、見学後、何回もこの地に足を運んだ。
特に、冬季の様子を見たくなり、国道161号線の東側にある滋賀県道333号安曇川今津線に行ってみた。滋賀県高島市北船木附近を起点に高島市北浜交点に至る一般道。この辺りは、一面雪に蔽われ、厳しい自然が広がっていた。
今まで、我々は効率や暮らしの快適さを求めてきた。蛇口をひとひねりさえすれば、水がえられる便利な時代に、昔ながらの水と人とのかかわり方の暮らしを見る事ができ、改めて水の大切さを感じさせられた。

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